「地域福祉研究室pipi」の活動を進めてきて思う
「地域福祉研究室pipi」の活動を進めてきて思う
NPO法人地域福祉研究室pipi総括責任者 渡邉 洋一
私自身も青森県立大学に籍を移して3年目となりました。
「地域福祉研究室pipi」を特定非営利活動法人として活動を開始して、ホームページの上での活動も数年が経過しました。この‘pipi’は、地域社会の住民の意識に中にあって、個々の住民の心に働きかけます。住民の福祉意識の醸成を自然発生的に促すことが‘pipi’の役割だと考えてきました。昨年からは、SNSの「ミクシィ」にも幾つかのコミュニティを立ち上げてきました。ここでも「わかりやすい福祉」を広めたいからでした。
私たちは、日々の日常の暮らしの中にあって、直接に私たちの生活にかかわらない事柄や物事には関心を持ちません。しかも「めんどくさい問題」に対しては排他的でもあります。特に、社会福祉の問題にあっては、当事者以外には、なかなか関心を持とうとしないのが現実です。ややもすると、他人事・関わりたくない事として関心をよせません。しかも、年齢を重ねると更に防衛的になり、無関心を装います。
しかし、自分たちが高齢期に直面すると、初めて自分のこととして関心を持ち、その対応に焦り始めることとなります。この時には、自分自身の老人問題には関心があっても、障害者問題などには無関心となりがちであるといえます。
なぜ、社会福祉問題を地域社会の視点から、考えなければならないのでしょうか。地域社会での住民の意識は、社会福祉問題には、なるべく関わりたくないというのが本音でしょう。特に、精神障害者問題などに対しては排他的です。さらには、税金を高くして(消費税など)まで、福祉の財源を税金で負担することには抵抗があるのが現実です。
しかしながら、住民の社会福祉問題への関心と理解が深まることなく、社会福祉問題の本当の解決にはならないことは誰にでも理解されるようになってきてはいます。それは、高齢社会の問題などの影響だと考えられます。ただ、その理解は、具体的な問題解決や住民の相互扶助を積極的に実施し合うという段階にはなってはいません。まして、寄付文化を創り出して、税と寄付による福祉社会を創造しようとは考えられていないからです。しかも、行政には、ボランティア活動への国民的参加を促すことで、財政上の不足を補うという姿勢がみられます。住民参加型在宅福祉サービスなどに具体的に表れています。このことは、公的責任の転化として危惧しなければならないことでもあります。
私たちには、公的責任を第一義的なものとしながらも、社会福祉問題を地域社会の問題として取り組むという至難の技が求められています。より積極的な市民活動の活性化と寄付文化の創造です。
‘地域福祉研究室pipi’は、法人としての活動ではありますが、あの種の塾という活動の場です。それは、同じ志を持った仲間によって、地域社会を耕し、住民の個々の心に働きかけることを使命としてきました。さりげなく、出会いと触合いを大事にしながら、本当に、さりげなく浸透するかのように、住民の暮らしに自然に働きかけられればと考えています。
私は、よく引用しますが、英国のM ベイリーは、‘Care in the community’と‘Care by the community’について次のように指摘をしています。
「地域社会に住む住民による、住民のための福祉活動」を醸成するためには、‘ Care in the Community’の段階である「地域で生活していくための条件整備、在宅福祉サービスが行政に制度化、組織化されているものの、隣近所の人達が声をかけあい、励ましあうという活動が未発達な状態」から、‘ Care by the Community’の段階である。「地域で生活していくための条件整備、在宅福祉サービスが行政に制度化、組織化されていることは当然として、近隣の関係が成熟している状態で、声かけ、見守りの援助が地域に形成されている状態」を創り上げる必要性を指摘しました。
まさに、この‘ Care by the Community’の段階を創り上げることが‘ぴぴ’の活動そのものといえましょう。
‘塾’とは何を目指し、どのような活動をする場なのでしょうか。例えば、‘松下村塾’は吉田松蔭によって、明治維新の原動力である多くの人材を輩出しました。松蔭は、「万巻の書を読むに非ざるよりは、寧(いずく)んぞ、千秋の人たるを得ん。一己の労を軽んずるに非ざるよりは、寧(いずく)んぞ、兆民の安きを致すを得ん」と塾に掲げました。
この言葉は、住民の安寧を創りだすための志を示しているといえましょう。社会の平和を礎として、「安心・安寧・安生」の暮らしや地域社会を創り出すことを示唆していると考えられます。
地域社会は、ある意味では「重篤な課題がある高齢者・障害者」には冷淡なのかもしれません。「棄老伝説」にある姥捨て物語などにみられるように、集落や部落を守るためには「間引き」などをしなくては成立しなかったのかもしれません。このような素朴な地域社会に対しては、「ある意図」をもって働きかける必要性があると考えます。その意図を持って科学的に働きかけることが「コミュニティワーク」だと考えています。
当然なこととして、「重篤な課題がある高齢者・障害者」の「安心・安寧・安生」には、第一義的に公的責任があることは当然です。しかも、あわせて、市民活動や寄付文化による「地域扶助」の活性化や、隣近所の「相互扶助」の活性化が求められているからです。私達には、三つの義務(教育を受ける義務・労働義務・納税義務)が憲法のもとに課せられています。しかし、‘地域福祉研究室pipi’は、三つの義務に加えて「地域への参加の義務」や「郷土愛」などの「地域参加義務」が求められていると考えます。
ここには、「社会福祉の主体的な自己責任」が問われているという問題意識があるからでした。この「主体的な自己責任」は、経済的なことだけではなく、自らの暮らしに対して「生き抜く力」や「人と関わりを持つ力」を積極的に獲得しなくてはならないという意味です。この主体的な力を持つことで、例えば、「自殺」や「虐待」や「閉じこもり」が少なくなるのではないかと考えています。
‘地域福祉研究室pipi’は、このような問題意識を保持しながら活動を継続していきます。