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      <title>渡邉洋一地域福祉研究室</title>
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      <description>●よけいなお世話関係
　「安心の暮らし」は、家屋敷があっても、預金があっても、生活の維持と継続のためには不安がある。たとえ、多くの家族がいたとしても不安は残る。しかも、このような安心の暮らしは、行政が保障をしてくれるものではない。 安心の暮らしは、地域でのつながりや、隣近所での、おつき合いが基本である。このためには、「時間と手間と暇」を惜しむことなく、隣近所の関係を豊かなものにしなければならない。「お互いさま」の関係は、この時間と手間と暇をかけた「よけいなお世話」といわれても日常の暮らしにあるようである。
渡邉洋一


→NPO法人地域福祉研究室pipi
→仮称：コミュニティワーク実践学会

→学生専用サイト</description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2012</copyright>
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         <title>ソーシャルアクションに関する考察（2009.7）</title>
         <description>　はじめに
　基本的な問題意識として、‘社会’とは如何なる形態とシステムを持って構成されるのかを検討しなければ、社会福祉における社会活動・運動(以下、ソーシャルアクションという)を研究することはできないと考えてきた。この論点における社会福祉に対する認識は、第一に社会福祉は弱い立場の市民に対する‘公私に渡る支援の総体’であり、‘市民と社会との契約行為’であるという点である。第二として、自立生活を継続できるためのサービスの絶対量(支援の量と質としての公準の設定)は、国民の合意形成による‘社会的な価値規範’が根底に据えられているべきであるという点である。以下、この論点が本稿の根底にある。
　視点を変えると、リオタールは、その著作「ポストモダンの条件」注１）において、‘大きな物語の終焉(①社会の全体をひとつの理論でとらえようとする。 ②人間の理性的な思考が理論を発展させる)’から‘小さな物語’への意味を問うたことで知られている。この特徴は、‘平静’より‘騒擾’を、問題解決ではなく問題提起を、普遍的な物語を生きるのではなくさまざまな問いを提出し、批判的な思考空間にむかって浮上することであった。ここにも、現代思想の特性としての‘批判的思考と抗争による開かれた世界’の構築が求められていることである。
　特に、社会福祉の領域では、前記した二つの視点という意味からも、リオタールによる‘批判的思考と抗争による開かれた世界‘の指摘が不可避であると考える。その理由は社会的に弱い立場の市民への支援が社会福祉の基本であり、そこに社会福祉の固有な価値規範が問われるからである。しかも、絶えず社会福祉の絶対量は、ソーシャルアクション（Social Action）という行為によって充足されてきた歴史がある。この意味を含めて、本稿では、ソーシャルアクション（Social Action）という運動性と公私関係からも検討してみたい。

第一章　ソーシャルアクション

第一節　ソーシャルアクション概念の検討
第一項　ソーシャルアクション概念の系譜
　ソーシャルアクション概念(以下、S.Aと訳す場合がある)は、英国でのパリッシュ（教区）の自治活動の歴史にみられる。具体的には、英国型のCOS運動（チャリティによる組織化活動）の流れとセツルメント活動などを源流である。その後、ベヴァレッジ報告に明記されたボランタリーアクションという用語の提起があり、英国では草の根運動的な側面を持ち、ソーシャルアクションとボランタリーアクションを意味しながら発展してきていると考える。
　一方、米国では、英国のセツルメント活動などの影響によって、ソーシャル・リホーム（Social Reform）からソーシャル・アクション概念へと発達をしているのではないだろうか。例えば、1935年の全米社会事業会議では「ソーシャルアクション部会」が設置されている。その後、理論的な視点では、W.ニューステッター「インターグループワーク論」（地域内の各種組織、団体及び機関の代表者の討議の場を設定し、グループ間の関係調整によって各集団の協同を促進する援助技術）があり、M.ロス『コミュニティ・オーガニイゼーション』を経て、J.ロスマンによる三つのモデルでは、「地域開発モデル」「社会計画モデル」「ソーシャルアクションモデル」として説明されている。また、トロップマンによる「プランニング・モデルとソーシャルアクション・モデルとディベロップメント・モデル」という整理も著名である。
　このような、米国の動向の背景には「社会的目標モデル」としての市民参加が問われ、指導者など社会活動志向が背景にあった。さらに、理論化が間接援助領域以外でも顕著にみられた。個別・集団援助の領域でも、「治療的モデル」やEトロップらの発達的アプローチやR.サリーの行動主義モデルなどとも関連して発展してきた。そこでは、「相互作用モデル」や方法論統合の立場から、個人と社会の有機的な相互援助システムの「媒介者」として援助者の役割が強調され、‘社会活動’の視点が強く求められてきたことがある。例えば、コノプカ（グループワーク研究者）は次のように指摘している注２）。『小集団が持つ治療的機能に着目し、収容施設入所者、非行少年、情緒障害児に対する治療教育的グループワークを開拓し、 グループワークの基本原理１４項目を掲げた上で、個人の社会的対処能力の向上を第一に掲げ、そのような観点から集団援助技術を「成長指向グループ」と「社会活動(ソーシャルアクション)」の二つに大別し理論化している』ここでも社会活動(ソーシャルアクション)を組みいれられている。このように、ソーシャルアクション概念は、コミュニティオーガニゼーション研究とソーシャルアクション研究の領域だけでなく発展してきたことに米国での特徴がある。
　基本的には、前述したようソーシャルアクションとオーガニゼーション概念はJ.ロスマンに代表される社会運動としての視点が原点にある。そこでは、単純なソーシャル・アクション（Social Action）としての社会福祉活動論だけではないソーシャル・リホーム（Social Reform）という社会改良・改革の市民的な運動が背景にあることは米国の特徴となっている。

第二項　我が国のソーシャルアクション
　本邦ではソーシャルアクションの概念について注目され始めたのは、1960年代だと考えられる。そこで、当時の研究者を代表する一人として木田徹郎の提起をついて検討してみたい。
　木田は、「われわれが生活している社会環境を構成している、社会制度と社会政策を創造し修正することを目指す社会福祉活動の一部門である」注３）と専門社会事業の一つの行動体系である専門の技術としてソーシャルアクションを説明する。具体的に、木田は「一般的な定義としては、現在の広い社会的環境の問題点に対処するため、現実の環境を構成している諸社会制度および諸政策を修正または創造することを目的とする大衆的な社会福祉の組織的活動である」（同著p312）、また、ケネス・プレイの定義として「ソーシャルアクションとは、専門社会事業家が努力している社会的適応、不適応などの問題の根底的な原因である各種の社会的条件および社会的政策に、直接影響を与えるための、組織的かつ意識的な活動である」（同著p.311）として引用している。さらに、木田によれば「ソーシャルアクション研究は何よりもまず、オーガニゼーション研究からはじめられるべきである」と記載している（同著p.311）。
　なお、嶋田啓一郎は、「社会制度に対する科学的認識は、コミュニティオーガニゼーションの発達を促し、家族・近隣社会・学校・クラブ・職業集団などの制度的集団が、その成員の社会生活上の基本的欲求をより良く充足し得るために、その不備を補い、また進んで必要精度の確立を計るためのソーシャルアクションを喚び起こさなければならぬ」注４）としている。
さらに、高森敬久の指摘では、「社会資源の改善・創出に関する実践と研究が乏しい」ことの指摘がある。また、杉本敏夫や定藤丈弘なども「ＣＯが全体的調和を重視した穏健な戦術であることに対して、ＳＡは権力構造に対決姿勢をとる方法である」注５）としていることも参考となる。
　これらを参考として、本稿では、ソーシャルアクションとオーガニゼーション研究は、重層的な領域であることを確認した上でソーシャルアクションについての論考を進めたい。さらに、ソーシャルアクションは、福祉社会を構築するための‘社会的な運動体としての市民の装置’であると考えたい。そのためにも、ネットワーキング理論と公私関係論が精査されるべきであると考えている。

第二節　我が国のソーシャルアクション概念の整理

第一項ソーシャルアクションの位置
　ア）ソーシャルアクションの位置
　基本的に、社会福祉援助技術の体系では、ソーシャルワーク全体の個別援助だけで効果的に進められるものではなく、最大の社会資源である「地域社会」を基盤として社会福祉援助ではもっと総合的、複合的に援助の概念を創りあげる必要がある。その上で、ソーシャルアクションは、社会福祉援助技術において間接援助技術に分類される。社会活動法ともいわれ社会福祉に関する社会的活動のことであり、個人では改善されない問題の解決のため議会や行政機関に立法的、行政的に措置を講ずるように働きかけを行う活動、またはその過程のことである。しかも、繰り返すがコミュニティー・オーガニゼーションと一部共通点を持つ関連の深い方法だと考えられる。

　イ）　社会活動法
　基本的に、社会活動法は諸外国でいわれているソーシャルアクションの日本語訳であり、社会福祉を推進するための住民参加に基づいた活動形態である。社会福祉の諸課題やニーズに即して、住民や福祉関係者の組織化を行い、広く世論にアピールし、時には立法機関・行政機関に働きかけることを通して、既存の法律、制度の改正、社会福祉資源の開発、社会福祉運営管理の改善などを求めることであるとされてきた。したがって、社会活動法は広く国民の保健、福祉のニーズに応えるために、社会環境や社会システムを改革し、創造することを目指す活動である。そのため、社会活動法の過程は、①調査などによる課題の明確化、②課題に即した計画づくり、③住民への啓発、PR活動及び世論の喚起、④立法機関や行政などへの署名誓願、陳清活動、⑤行政による対応などのモニタリング、などの手順があると考えられてきた。
　しかし、ソーシャルアクション概念には、積極的な改革・変革のアプローチとしての意味を包含してきた。したがって、穏健主義的な地域改良活動や住民参加を超えて、既得権益や権力と民主的な対峙する姿勢が不可欠であるといえよう。

ウ）　ソーシャルアクションの範囲
　社会福祉の領域以外では、無目的な公共事業や河川の改修や道路整備の問題では、当該地域での利潤追求が中心となる利害構造などに対しても、その問題の軽減や解決のためには、公的機関に対して強力な市民的な運動としてのソーシャルアクションが求められる。
　地域社会にあって問題解決を図るためには、公的な既存資源の動員や住民間の自主的努力だけでは、解決が困難であることが多い。それは、必要な社会資源が明らかに不足し、既存の法・制度やサービスの内容・水準などがそれを利用する地域住民の現実のニードに合致しないことなどによって生じているからである。これらの問題解決のためには、既存の諸資源の改廃、制度的水準の改善、新たな諸資源の創設、あるいはそれらに伴って、時には法律・条例そのものの改廃や制度などを促す必要が生じてくる。したがって、そのためには、社会資源の担当および統制機関（多くは行政など）に対する組織的・市民的な行動（以下ＳＡ）の展開が必要となる。
　今日の地域福祉の動向では、ＳＡによる対応の必要性が基本的にある。その理由は、問題解決の質を高めるためには、地域社会を巻き込み「その人らしさ」を基盤として自立生活を希求されるようになったからである。基本的には、経済不況や、効率性重視の地域政策の展開による相対的貧困化や、地域生活環境の破壊の深まり、さらに人口の老齢化現象や核家族化の進行などによって、在宅要援護者家族の生活苦や介護問題が深刻化しており、社会的介護サービスや環境条件の整備の施策は社会福祉基礎構造改革の名のもとに崩壊している。さらに、所得保障、住宅・保健サービスなども未整備な状況である。地方分権と規制改革によって、公的福祉の効率化や、住民間の相互扶助の強調による行政責任の縮小化が進んでいる。公的責任の確保・拡充を迫るＳＡの展開が求められている。

　エ）　ソーシャルアクションの目的とコミュニティワークとの関係
　海声社『コミュニティワーク』において、次のように記載がある。参考になるので長くなるが引用する。「ＳＡが目指す目的やねらいを全体的に明らかにする必要がある。1960年代のアメリカで台頭した種々のＳＡを整理したロスマンの見解を手がかりに分析すると、その目的は大きく三つに分けられる。
　第１は、住民のニードに対応しうるだけのより高い資源やサービスの入手を可能にするような社会資源・サービスの給付水準の向上、制限的なサービス利用条件の緩和、環境整備基準の一層の高度化といった既存の制度的水準を高めたり、新たな社会資源・サービスを開発するといった直接的な目標に属する事柄である。
　第２は、社会資源やサービスを配分し、統制・管理している機構、主に行政機構の既存の意志決定メカニズムに何らかの修正・変更を伴わせることである。すなわち、制度的水準の改善などは当然既存の政策の修正を伴うことから、政策を規定する個々の立法（法律や条例など）の改廃や制定を促す場合もある。また時には、住民層の連帯が広範で強固であり、一方、既存の意思決定の壁が厚い場合、意思決定構造自体の改変（例えば、意思決定構造への住民参加ルートの確立、自治体の長や管理者のリコールなど）を目指すこともＳＡの目的とされる。
　第３は、ＳＡに参加する住民や福祉当事者の自主的なパワーの形成や態度変容にかかわる目標である。ＳＡの一定の成功や展開は、住民層の地域社会の意思決定過程への参加を定期的に促進するといった住民パワーの確立と増大につながるし、自立的な運動が継続されれば、参加主体の態度変容も起こりうる。
　例えば、ごく平凡な市民・住民が、社会的な問題認識を広げたり、高度な技術的知識を学習したり、社会的イデオロギーを体得すること、あるいは権利意識、地域社会の主権者として意識を確立し、深めるなどの効果も期待されるのである（ロスマン、1979）。そして、このようなねらいを持つＳＡは、従来のコミュニティワークとの関係においても、重要なその機能の一つであると捉えられてきた。すなわち、以上のようなＳＡの機能がなければ、コミュニティワークは一方的に既存の制度、地域環境、地域権力構造への適応や、地域的な相互扶助のみを住民に押しつける結果に陥りやすい。その意味では、コミュニティワークが地域社会の公的な福祉水準の向上、および草の根民主主義の浸透にどの程度貢献しうるかは、ＳＡ機能の導入の度合いにかかっていると言えよう。また、ＳＡはコミュニティワークの過程にのみ吸収される概念ではなく、独自の性格を持った方法でもある。例えば、比較的長期間にわたって地域住民の協働体制を確立することを目指すコミュニティワークは、それ故、一定の地域社会の枠内での組織化の方法としての限界を持つのに対して、ＳＡには、かかげられた目標に賛同する人々を地域の枠を超えて組織していくといった機能がある』としていることが参考となる。

第二章　　ソーシャルアクションと社会正義
第一節　ソーシャルアクションと社会正義
　社会正義の概念についての考察は別稿とするが、ここでは社会の成り立ちにおいて公正公平であり、市民権が確立されていて、弱い立場の市民の権利を積極的に保持できることという程度の理解から検討する。
　基本的に、相談援助の専門職として、社会福祉政策や関連施策について行政や社会への市民的な働きかけが重要である。それでは、狭義のソーシャルアクションは、利用者の依頼に基づいて、利用者との相談業務を通じながら信頼関係を作り上げ、利用者が自ら有する能力を最大限活かし，自ら望む環境で，人生において尊厳を持って過ごすことができるような生活が作られるよう援助していく。そうした援助が可能になるような、高度な専門的技量が本来的には求められる。
　一方、広義のソーシャルアクションは、ソーシャルアクションは、‘社会正義’を背景とする理念を明確として、社会福祉行政への働きかけを意味しており、その対象は‘政府など’の行財政全体のシステムと執行権限に対してである。一方では、地域住民の‘福祉意識’を醸成させるために専門職の視点から働きかけることも意味している。これらを整理するとすれば、「社会正義による社会問題に対する社会的、政策的解決を促す技術の一つである。推進の方法は、世論の喚起や行政機関への組織的・市民的な行動の展開によって、問題を持っている要支援者のニードに合った資源の改廃や創設を行い、その制度的な改革や改善を促し、さらに、権利としての福祉水準の拡充を図ることであると言えよう。
　特に、社会資源の不足や開発のためには、ソーシャルワーカーとして使命感を持って対応する必要がある。また、これらの前提には、すべての社会問題に対して対応をし、社会福祉の視点から社会的な改善を図る技術である。例え、その対象が「平和」や「地域紛争」や「環境」や「教育」や「多くの社会事象」に対しても社会正義を基本として取り組むこととなる。もちろん事象自体へは、公的機関や専門職が対応することとあわせて、そのチームの一員として組織化・社会啓発などの専門的な立場から参画する必要性である。したがって、ソーシャルワーカーは、たえず、相談援助の専門職として、社会福祉政策や関連する各種施策について、必要な改善の要請を行政や社会へ働きかけいくことに注意を喚起しなければならない。その重要性を社会福祉援助の間接援助技術のひとつが社会活動法（ソーシャルアクション）への住民の関心と参加も図るべき使命があるといえよう。

　第二節　ソーシャルアクションの技術
　次に、ＳＡの技術について海声社『コミュニティワーク』において次のように記載されている。ここでも長くなるが引用したい。「公的責任に属する社会資源の開発要求に関しては、それに対する住民の共通意志を署名運動などによって集約し、行政機関および議会に陳情・請願を行うのが一般的なやり方である。しかし、要求する課題の性質によっては多額の公的経費および条例の改廃などが必要とされるので、通り一遍の運動ではその目標の達成が困難な場合が多い。そこで次のような方法を適宜駆使していく必要もある。
（１）議会への働きかけ：地域社会の意志決定の最高議決機関は議会であるから、提出した陳情・請願を実現させるにはやはり議会に働きかけることがポイントの一つとなる。議会を傍聴したり、議会の委員会で趣旨説明を行ったり、政党や議員への直接的働きかけによる圧力や、あるいは選挙を利用して公開質問状への回答や公約を迫るなどによって議会を動かすことが、目標実現の重要なステップとなることは確かである。ただし、リーダーの独断先行による特定の議員や政党への働きかけ行動は、逆に住民の主体的な運動を破壊しかねないリスクを伴うことにも留意しなければならない。
（２）行政への働きかけ：生活行政施策の専門職化の進行や現代行政の裁量権限の問題を考える時、そしてＳＡの目標は行政施策として実現させたい事柄が多いことから、行政に働きかけること、またその際には行政当局に影響を持つあらゆる手段を活用することも大切である。
まず、集約された運動要求をとくに行政の予算編成期に提出し、当局と直接懇談し、交渉することが基本であるが、既存の行政参加制度をできるかぎり活用し、必要ならば条例の制定や改廃を求める直接請求権を行使すること、あるいは行政の持つ関連情報を公開したり、住民集会の場に行政関係者や地区出身の全議員の参加を求めて、運動への協力を求める方法も効果的である。
　その他、前述のように議会に働きかけ、議会をとおして行政に圧力を加えたり、時には行政首長への直訴行ったり、さらには裁判所への提訴や傍聴など、司法機関への働きかけを行う方法もある。当然ながら、粘り強い運動を行うことが、行政の譲歩を引き出すためにも肝要となる。
（３）団結の強化と世論喚起の方法：議会や行政に譲歩を迫り、議会に住民の意思を反映させて、社会資源の拡充や創設を図るには、住民相互の団結が強固であるだけでなく、問題に対する世論を喚起し、世論の支持を背景に運動を展開することが特に重要となる。住民の団結を強化するには、ＳＡの運営の民主化を図るとともに、住民集会や大会を開催して、共通の要求や目標を意見交換の中で確認し合うことにより、連帯感や団結を深めるなどの方法が用いられねばならない。
　世論を巻き込むには、街頭での署名運動を行ったり、趣意書、パンフレット、機関紙などを配布したり、マスコミに働きかけたり、あるいはパネル展によるアピールといった街頭宣伝などの方法を行う必要もある。その場合、公的な施策や努力の不十分さが住民の地域生活を圧迫している状況や、その問題が多くの市民に共通性をもつものであることなどを、できるだけ多数の人々が容易に理解しうるような伝達方法を用いる必要がある。人権を具体的に侵害されている事実をアピールすることなどは、その問題に対する世論を喚起するのに効果的である。
（４）運動の連帯の拡大と直接行動の戦術：ＳＡの標的が巨大であればあるほど、運動に対する直接的な連帯の輪をできるかぎり拡大することも必要となる。例えば、共通の問題をかかえる他の地域に運動の輪を広げたり、共通の課題を持つ他の運動との連帯を図ることである。そのためには、組織相互の排他主義を克服し、住民みんなの生存権、生活権を守るというコミュニティワークの目標理念のもとに団結し、連帯を促進することが大切となる」という指摘がある。
このようなソーシャルアクションの整理は、米国の概念の影響が多くみられるが、現実と理論的な整理の間の乖離が懸念される。ある意味では、我が国ではソーシャルアクションに対する積極的な理論づけがされていないことを危惧している。

　第三章　ソーシャルアクションと社会福祉協議会活動論の基盤

第一節　民間活動と公私論
　我が国では、公私の役割は、民間社会福祉と公的社会福祉事業との相対論の中で民間社会福祉事業（活動）が問われてきた。民間とは何かという議論は公私社会福祉事業の前世紀後半から、関係論の中で数多く論じられてきた。公私関係の主要論は以下の通りであるが、これらについては散々議論がされ尽くされており、今日ではＭ．Ｐ．ホールの「批判的協力関係論」がテーゼとなっているという紹介にとどめておく。以下に英国を中心とした公私関係論を整理しておく。
　民営社会福祉事業万能論　Josephine Shaw Lowell 1883
　平行棒理論（Parallel Bars theory）　Benjamin Kirkman Gray
　繰出梯子理論（Extention Ladder theory）　Sidney Webb 1914
　多数＝公営・少数＝民営論
（Majority-public,Minority-private）Linton B, Swift 1934
　公営社会福祉万能論　Helen Clark 1947
　批判的協力関係論　M,Penelope Hall 1952
　岡村重夫によれば、「繰出梯子」や「多数＝公営・少数＝民営」理論までの公私関係論は、公私それぞれの独立した活動領域を見出そうとすることに専心し、却って両者共通の性格を見落しており、共有するものと共有しないものを互いに認識し合うことが必要であるとし、「批判的協力関係論」を支持している。
　本来、民間社会福祉事業である社会福祉法人についても、たとえば「社会の要求に速やかに対応してゆく」という事業の柔軟性が民営社会福祉事業の特徴であるとすれば、民営社会福祉事業に対する法規制はそれを制限するものではなく、むしろ民間性を助長する方向で作用すべきものでなければならないはずである。、具体的には、我が国の民間社会福祉施設の公費依存率は９８％といわれる。これでは「下請」という名の「協力」は存在し得るが、「批判的」性格は骨抜きとなってしまう。「批判的協力関係」とは、批判が担保されて行われる協働でなければならない。したがって、寄付文化とい市民側の浄財を確保する道が求められ、そこでは対等な契約関係と自由な‘民間社会福祉財源確保’が必要である。このような適切な公私関係の構築のためには、ソーシャルアクションが不可欠であり続けるといえる。

　第二節　ネットワーキング理論
　ネットワーキング理論は、概ね、積極的に他者と「交流」「つなぎ」「触れ合い」などの関係性を積極的に形成することをネットワーキングと考えることができる。例えば、正村公宏は、ネットワーキングとは、「ある目標あるいは価値を共有している人々のあいだで、既存の組織への所属とか、居住する地域とかの差異や制約をはるかに越えて、人間的な連繋をつくりあげていく活動」としている。
　また、高田昭彦は、「縦型の階層構造「ヒエラルフィー」から、横型連結型「ネットワーク」への転換がある。　社会的に問題となるネットワークには、①情報・通信ネットワーク　②超産業社会へのネットワーク　③生活者のネットワーク（ネットワーキング）」と指摘する注６）。
さらに、金子郁容（金子郁容『ﾎﾞﾗﾝﾃｨｱ』岩波新書）は次のようにネットワーキングの基本を整理している。
　①　動的情報を発生させるプロセス
　②　相互作用の中での意味形成のプロセス
　③　自発性を基礎にする関係形成のプロセス
　④　関係変化のプロセス
　視点を変えて、社会的ネットワークについては「家族、友人、近隣、親族などの特定の社会制度にかかわる人びとが有機的に結びついた社会環境である」（E.Bott）という指摘もある。この場合、社会的な相互の組み合わせであり、ネット（網の目）状の複数の人間関係をさし示すと考えられる。次のようにも整理できる。第一として、次の全体との関係のネットワークとして、ア)個人のネットワーク、イ)全体のネットワーク、ウ)部分のネットワークがあるといえる。さらに、①問題と問題のネットワーク、②問題と事業のネットワーク、③事業と事業のネットワーク、④人と人のネットワーク、⑤問題と人と事業のネットワークという整理は大橋謙策の指摘である。
　「社会的ネットワーク」「個人のネットワーク」が豊かに形成される時期は、生産年齢の時期である。その間になんらかの社会的ハンデキャップが発生すると、ネットワークが縮小し機能しなくなることがあり、個人によってサイズが変化する。また、老齢期には「社会的ネットワーク」「個人のネットワーク」は縮小し、消滅していくこととなる。したがって、社会福祉の機能の一つは、「個人的に縮小したネットワークしかない要援護者」に対して社会的に支援し、ネットワークを拡大し再生産させることである。当事者にかわって、新たな「社会的ネットワーク」「個人のネットワーク」を形成できるよう支援することがソーシャルワークの業務である。
　社会福祉の分野で使用されているネットワーク概念に必要なこととして、新しい社会福祉観を共通の基盤とすることが求められ、「横から縦への発想」に基づく、市民相互の組織のフレキシビリティーが求められよう。ここにも、ソーシャルアクションとの関連がある。
　個人は、積極的に他者と「交流」「つなぎ」「触れ合い」などの関係性を積極的に形成しなければ、集団の中で孤立してしまうこととなる。個人的・社会的ネットワークは、親族のネットワークから、地縁のネットワーク、職業のネットワークなどを基礎としつつ形成される。男性のネットワーク、女性のネットワークは、当然その形状が異なるし、とりわけ、男性の過度な職縁ネットワークへの依存が問題となっている。退職後の男性の孤立観も特異現象であるのかもしれない。ここにも生活上の社会関係の厚みとして、ネットワーク関係を豊かなモノとするためには、より積極的で開拓的であり、革新的なネットワーキング型活動が必要であろう。さらに、公的な責任を裏付けていく必要性がある。そこでは公私関係論が基本である。さらに、現行の既得権益や官僚的組織論など疎外要素も多く、ここでもソーシャルアクションの必要性でもある。

第三節　社会福祉協議会活動論の基盤
　このように検討してくると、日々の生活には、社会関係を地域社会が基盤として整えて、個人・家族・近隣・地域社会の関係性を豊かなモノとすることが第一であり、そこに公的責任による保健医療福祉のシステムが構築される必要がある。しかし、「公」と「民」の関係において、官僚制の問題など拮抗する部分がある。例えば、高澤武司による指摘である「社会福祉の管理構造」の課題もある。さらに、住民主体と住民参加を図り、民主主義と社会正義の確立にはソーシャルアクションはソーシャルワークに求められる原点であるといえよう。
　しかも、社会福祉協議会は、英国のハムステット地区に設立されてから、その活動基本には「セツルメント思想」と「ボランタリーアクション」などに代表される草の根的な地域活動を基本としていることが原則である。この民主的な公私関係の構築は、不断の市民活動による産物であるといえる。我が国の社協活動でも、山形会議で住民主体原則が確認されている。さらに、コミュニティ・インボルブメント（地域を巻き込むこと）による住民参画を図り、ネットワーキング型活動は、社会福祉協議会活動の根底に求められているはずである。したがって、ソーシャルアクション型社協活動こそ使命であるといえる。かって、全社協でも活動型社協に意味づけていた時期もあった。しかし、現在のような介護保険型事業社協へと変貌していることには危機を感じている。おそらく、社協活動にとって、ソーシャルアクションを組み入れるか否かでの考え方の分岐点であるといえる。

残された課題
　嶋田啓一郎は社会福祉の課題について、「社会関係における主体的及び客観的諸条件の相互作用より生起する諸々の社会的不充足、あるいは不調整現象への対応と考える」（嶋田「社会福祉体系論」P112）としている。この指摘にある‘社会関係での主体的及び客観的諸条件の相互作用で生起する社会的不充足や不調整現象への対応’は、ソーシャルアクションが不可欠であることがわかる。さらに、嶋田は、「私は、社会福祉を次の如く定義する。社会福祉とは、その置かれたる一定の社会体制のもとで、社会生活上の基本的欲求をめぐって、社会関係における人間の主体的及び客観的諸条件の相互作用により生起する諸々の社会的不充足、あるいは不調整現象に対応して、個別的または集団的に、その充足・再調整、さらには予防的処置を通して、諸個人または集団の社会的機能を強化し、社会的に正常な生活標準を実現することによって、全人格的人間の統一人格を確保しようとする公的並びに民間的活動の総体を意味する（嶋田「社会福祉体系論」ﾐﾈﾙｳﾞｱP94）」とする。嶋田の定義での、‘全人格的人間の統一人格を確保しようとする公的並びに民間的活動の総体’という文脈でもソーシャルアクションやコミュニティオーガニゼーションが求められている。
　本稿では、ソーシャルアクションについて、社会福祉の理論の先駆者である木田徹郎と嶋田啓一郎の枠組み注７）を検証しながら、海声社のコミュニティワークを参考として、ソーシャルアクションについて概観してみた。これらの根底には、‘市民と社会との契約行為’が第一にあること。第二として、社会福祉に対する‘社会的な価値規範’の確立のためにもソーシャルアクションは重要であるといえよう。最後に、社会福祉協議会とソーシャルアクションについての考察は今後の課題としたい。

注１）リオタール（Jean-François Lyotard, 1924-1998）は現象学の研究からスタートした哲学者であり，『ポスト・モダンの条件』（1979年）はその後の社会学のポストモダン社会論にも大きな影響をあたえた。リオタールによると，情報化が進展した今日の社会では，生産についての研究よりも，言語，知，情報についての研究が盛んになり，社会に大きな影響をおよぼすようになった。また，情報化とグローバル化の進展は，国家，国民，政党，職業など，社会生活の統合に寄与していた伝統的な社会制度を弱体化した。そんななかで，現在の思想状況は，「大きな物語」の終焉によって特徴づけられると，リオタールはいう。 「大きな物語」という言葉を理解するためには次のような想定に立って，世界を説明する「物語」であった。しかし，今日では，こういう大理論は不信の目でみられている。
　 ①社会の全体をひとつの理論でとらえようとする。 
　 ②人間の理性的な思考が理論を発展させる 
注２）コノプカによれば「ソーシャルワークの1つの方法であり、意図的なグループ経験を通して、個人の社会的に機能する力を高め、また、個人、集団、地域社会の諸問題により効果的に対処し得るよう人々を援助するものである」。さらに、「成長志向グループ」、「社会活動志向グループ」という整理が著名である。
注３）木田徹郎（1964）「社会福祉概論」新日本法規出版．
注４）嶋田啓一郎「社会福祉体系論」ミネルヴァ書房，27．
注５）高森敬久（1993）「ソーシャルワーク実践の方法としてのソーシャルアクション」相川書房，ソーシャルワーク研究，86．
注６）高田昭彦「ネットワーキング」『キーワード社会学』，P53．
注７）嶋田啓一郎編著（1980）社会福祉の思想と理論｢社会福祉思想と科学的方法論｣ミネルヴァ書房，47．社会福祉の新しいイメージは次の三点としている。　
①全人的人間理解をクライエント理解の正面に据えたこと。
②一般システム理論を導入し力動的な統合理論を中核に方法論的統合化を推進するに至ったこと。
③コミュニテイ理論を拠点としてコミュニテイワークが活発化したこと。</description>
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         <pubDate>Mon, 31 Aug 2009 14:02:15 +0900</pubDate>
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         <title>社協活動の規範と展望　福祉社会と福祉コミュニティの展望から</title>
         <description>はじめに
　現在、社会福祉のサービス提供の仕組みはあまりにも厳しい状態においこまれている。特に、財源が乏しい町村部の自治体だけではなく、社会福祉協議会など行政依存度が高かった機関ほど今回の財政諮問会議答申による「骨太の方針２０１１」は打撃を与えている。
　今日的な社会福祉の環境は、混迷の最中にあるという認識から入ることとしたい。それは、２１世紀にふさわしい社会福祉は、展望無き状況に追い込まれていると考えるからである。その原因の多くが複合的な要素によって創出されてきた結果であるために、２１世紀にむけた社会福祉状況が見通せずに展望が見いだせずにいる。そのトレンドをあげれば「グローバリズム」や「資源問題」や「環境」や「平和維持」の課題があり、社会福祉財源の課題であり、思想的にもポスト構造といわれて久しい。
　このような課題がある社会福祉の現状を２１世紀過渡期社会福祉状況（注-1）と仮に提起することとした。この社会福祉の危機的状況おける克服のためには、社会科学の成果を応用する必要がある。それは社会科学の「知」の最大限の応用であると考えている。
　最近、今村仁司（注-2）の訃報があった。筆者は今村の著作「現代思想の基礎理論」に学ぶことが多く氏の早すぎる逝去を残念に思う。今村は「人間の社会的存在とは何か。特に、人が社会関係のなかで生きることの意味とは」（現代思想の基礎理論）と問うていた思想家として尊敬していたからである。それは「人間の社会的存在とは何か」には、社会的な福祉の根源的な思想の構築があり、「人が社会関係のなかで生きることの意味」には、「相互扶助の活動」や「税負担によるサービス」の社会的意味が関係性の表裏にあるように思ってきた。しかも、今村は、「流行」と「前衛」とを区分して、前衛という用語には歴史観による普遍的な思想性を提起していた。そこには、改めて、「Ideology」とはいかなる意味を持つべきなのかの示唆でもあった。
　本稿では、今日的な不安定な社会福祉状況からの克服の展望と思想を社会科学の視点から検討を試みてみたいと考えている。そして、具体的には、社会福祉協議会（以下、社協とする）による福祉コミュニティ構築の課題や展望を見いだしてみたい。そのことが「求められる福祉社会像」の構築への一歩たりえると考えてきたからでもある。
　また、このような地域福祉型の福祉社会の姿を考えることの基本には、住民の安心観の創造の方法や、福祉コミュニティの姿を描き出す必要性であると思う。もともと、コミュニティ活動は、「福祉的な活動というよりも、健康な住民による近隣活動として、相互支援活動の範域」とする理解が適切なようである。そこでは、重篤な障害者や高齢者問題を持ち込んでも「疎外(公的に入所施設で対応)」という本音があるように考えている。かならずしも、コミュニティは万能ではない。したがって、そのような一般的コミュニティ自体を「福祉的なコミュニティ」とするためには、一般的コミュニティ自体に生活支援のための組織（アソシェーション）を内部的装置として構築（注-3）の課題がある。さらに、一般的コミュニティ自体を生活問題の軽減を可能とする相互支援の組織として、地域を構成する要員（住民）の関係性を豊かなものとできるコミュニティワーク専門機関が求められることとなる。その一つの選択枝としての機関が英国のハムステッド地区で１９０６年に創設されたパリッシュ型社会福祉協議会（後述）の活動にあるのではないかという提起をしていきたい。

　第一　社会科学の成果と福祉社会の構築
（１）　福祉社会に求められる社会福祉とは
　基本的な社会福祉や社会事業は、日本社会事業協会の社会事業研究所の１９５０年の規定では、『社会事業とは、正常な一般生活の水準より脱落背離し、または、そのおそれのある不特定の個人または家族に対して、その回復保全を目的として、国家地方公共団体あるいは私人が、社会保険・公衆衛生・教育などの社会的増進のための一般政策とならんで、それを補い、あるいはそれに代わって個別的・集団的に保護助長などの処遇を行う社会的・組織的活動である』とされている。
　次に、岡村重夫は『社会福祉は、全国民が生活者としての主体的社会関係の全体的統一性を保持しながら生活上の要求を充足できるように、生活関連施策を利用、改善するように援助するとともに、生活関連の各制度の関係者に個人の社会関係の全体性を理解させて、施策の変更、新設を援助する固有の共同的行為と制度である』としている。さらに、古川孝順は『社会福祉とは、現代社会において、人々の自立生活と自己実現を支援し、社会参加を促進するとともに、社会の包摂力を高め、その維持発展に資することを目的に展開されている一定の歴史的社会的な施策の体系であり、その内容をなすものは、人々の生活上の一定の困難や障害、すなわち福祉ニーズを充足あるいは、軽減緩和し、最低生活の保障、自立生活の維持、自立生活力の育成、自立生活の援護を図り、さらには社会参加と社会的包摂を促進すること、またそのために必要とされる社会資源を確保・展開することを課題に、国・地方公共団体ならびに民間の諸組織によって設置運営されている各種の制度ならびにその現実形態としての援助活動の総体として捉えられている』としている。
　本稿では、福祉社会に求められる社会福祉とは、地域社会を基盤として、住民一人ひとりの自立した生活と社会参加を促進することであり、日常生活での困難や障害を、社会関係の全体的統一性を基にして、主体的に解決を図る営みである。もちろん、国および自治体に第一義的解決を図る責任がある。それは、地域住民としての生活性を保持した援助でなければならないし、要援護者自身も援助課程に参加する必要がある。しかも、社会福祉と地域福祉の差を検討する仮題がある。さらに、公共私の役割の分担と協働と葛藤を踏まえる必要があり、公共私の役割の分担と協働における規範「ノルム」（ノルムについて後述）が構築されていない状況での社会福祉の定義は「流行」でしかない）が求められる。このような社会福祉の歴史的法則性と人間的規範による明確な福祉イデオロギーを保持した制度的な仕組みと市民活動を社会福祉の仮の定義とすることから論考する。

　（２）　福祉社会とは
　ロブソンは、福祉社会を『福祉国家の追求という道程において、サービス水準（高福祉、中福祉、低福祉）と負担（高負担、中負担、低負担）というジレンマの過程に、「住民参加」という媒介が介入することによって、福祉コミュニテイ像が浮び上がる』（注-4）ことを指摘して、さらに、福祉社会は次の４点を留意しておくことを示唆している。
　①福祉国家における権利と義務の再吟味
　②国民や市民の意見を反映する民主的装置
　③国家と個人の役割に関する多元化
　④労働組合に代表される強力な組織の自己抑制と自覚
　正村公宏は著作「福祉社会論」（注-5）において、福祉社会像を社会科学的な視座から提起しており、前記したロブソンを引用してつぎのように説明している。『福祉国家は、議会が定め、政府が実行するものであり、福祉社会は、公衆の福祉に関わる諸問題について、人々が行い、感じ、そして考えるものである』とし、さらに、『狭義の福祉社会は、基本的には、国民または市民の理解と参加によって維持される社会保障と社会福祉である』としていることが注目できる。おそらく、本稿が検討しなければならない福祉社会は、広義の福祉社会の構築であって正村の指摘（狭義の福祉社会）を超える必要があると考えている。その前提として、福祉国家と福祉社会の間にも重層的な構造があること、狭義の福祉社会と広義の福祉社会の間は、より重層的な意味（重篤なハンディキャップを持つ者を包摂できる地域社会）があると考えるからである。しかも、ここでは「前衛（前掲、今村）」という視座が有効となろう。その理由は、広義の福祉社会は、重篤なハンディキャップを持つ者を包摂できる地域社会（福祉コミュニティ）の構築には、現在の社会が抱えている問題（環境・経済・教育などの領域が効率第一主義になること）がダイナミックな発想の転換を求めているからである。例えば、福武の福祉社会（福武直著「福祉社会への道」）の概念では協同と連帯がキータームとなっている。今日的な社会福祉のあり方では、市民の自己責任を追究しても解決しえない事象が増えており、そこには市民の協働と連携があっての福祉コミュニティの構築だと説明できることとも同じ文脈である。
　したがって、求めるべき社会福祉の到達状況では、公的な福祉システムの構築とあわせた住民参加による福祉コミュニティにおいて、「存在の認識に規定される側面」（前掲、渡邉著を参照）では、福祉的なアソシェーションを装備したものであり、包括的なコミュニティケアの構築である。さらに「願望」(want)では、「意識の認識に規定される側面」（前掲、渡邉著を参照）という視座によって時代状況に左右されない前衛を確保した広義の福祉社会観を模索する課題があると考えている。この福祉コミュニティの構築と、さらに、住民組織化活動や福祉教育（共育・協育）活動（前掲、渡邉著を参照）が社会福祉協議会活動への期待でもある。
　
（３）　社会福祉の流行と前衛
　なぜ、本稿が、社会福祉に「前衛という概念」を位置づける理由は、社会福祉のサービスが、時々の経済状態や都合によって左右されていて、特に、法律や制度施策による裏付け（補助金）の量に右往左往している現状を危惧するからである。まさに、介護保険や障害者自立支援法の今日的な動向には、「社会福祉の流行」に流されている現実があると理解しているからである。さらに、国民の関心やマインドにも流行があって、目先の年金や介護保険制度の課題には一過的に敏感であっても、より重篤なハンディキャップを持つ者やホームレスなどには冷ややかであるために、社会問題とはなり難い現状もうかがえるからでもある。そのことは、一般的なコミュニティを形成する福祉マインドでは、重篤なハンディキャップを持つ者への無関心や偏見（無意識）を持っていることを危惧するからでもある。しかも、報道機関などによる福祉問題の取り上げ方には、このような問題には一時期は敏感となることがあっても、弱い立場の者への報道機関の取組みでは流行的な姿勢がみられる。
　これらの意味からも、「福祉の流行」から「福祉の前衛」という社会福祉観の昇華が求められていると考えている。特に、最近の経済的な効率と市場原理の追究が、世界的なグローバリズム経済システムの過度な増殖を背景として、「２０１１年骨太の方針」などの経済財政諮問会議などによる政策は、結果として社会福祉のセーフティネットを切り捨てることとなっている現状を危惧している。ここにも、「社会福祉の流行」に左右された状況がうかがえる。
　広義の福祉社会の構築のための第一の視点では、一過的な「社会福祉の流行」や経済的な状況に左右されない「社会福祉の前衛化」が求められている。この前衛概念を社会福祉のマインドとして定着させることこそが、求めるべき社会福祉の到達状況を考えることの意味である。このマインド定着において、社協活動の福祉教育（共育・協育）（前掲、同著）への期待があって、ただ、学童生徒への教育的な視点だけではなく、コミュニティ・インボルブメントの視点が大切である。しかも、「社会福祉の流行」に左右されない、日常的な暮らしでの「仕来り」や「習わし」という地域意識の中に組み込めるような学習の視点が大切だと考えている。その内容に福祉課題や生活課題を組み込む作業を社協活動での「福祉共育や協育」と考えてきた。
　広義の福祉社会の構築のための第二の視点では、社会科学の成果は、社会的に弱い立場の市民や民族が普通の生活を維持して継続するためには、一部の富裕層の富の独占を再配分しなければならないという社会福祉の基本課題に対して貢献できるという姿勢の問題である。ある意味では、社会福祉は「国民の幸せ」という程度のあまりにも理念的で抽象論であり、一方では、一部の市民（障がいなど）の具体的な生活課題として登場することが多いために、社会福祉の国民的理解には幅があり、その意味での社会福祉は流行的であった。したがって、この前衛観を持った視点が大切であって、これを構築するために、絶えず運動を繰り返し、活動を積み重ねるという「前衛的な社会福祉運動体」の意味を検討し、社会科学の成果として提起する必要があるのではないかと考えている。ここにおける「社会科学の知」は、社会福祉の価値規範を追究するという姿勢を明確に組み入れる必要性で
もある。

　第二　福祉社会と価値規範
（１）　高度産業社会の「願望」(want)
　第一に、高度産業社会（注-6）は、剰余価値の独占的な形態を修正しようとする流れと、市場原理主義による「産業の論理」とが葛藤する現実がある。その時々の政治体制に左右されがちであって、経済的な余裕がある時には、国民に餌(社会保障)がまかれるし、現在のようなプライマリーバランス政策重視策がとられれば国民のセーフティネットは脅かされることとなる。まさに、このご都合主義は、今日的な社会福祉状況にあるといえよう。そのことが、前記したような「社会福祉の流行」に流されやすいという危惧であった。
　これまで、高度産業化社会における産業化の急速な進展は、基本的な人間生活の正常な活動に必要な「欲求」(need)を、市場原理に基づいた営利主義的生産に必要な「願望」(want)に置き換えて、さも、「願望」(want)が現代的な価値を設立させているかのような理解を広めてきた。我々の中流意識は、この「願望」(want)を求めて飢餓観すら抱いている。はてしなき「願望」(want)の渦巻きの中にあって暮らしいるとさえ思われる。さらに、世界規模でも、一部の国家が富を独占して、市場原理をもって圧倒し、発展途上国の社会生活の基本的成立条件を崩壊させているという事実である。後述する嶋田啓一郎も指摘しているが、批判すべき近代的価値観は、この「願望」(want)イコール価値とする高度産業社会による僭称自体が課題である。このように、あくまでも一般論ではあるが、我々の意識には、欲求(need)と願望(want)を混同し価値の混乱を招いていることが理解できよう。この欲求(need)と願望(want)と財源のミスマッチが今日的な社会福祉の様相であるのかもしれない。本稿では、このミスマッチを問うことが価値規範の追究であり、前衛の意味でもある。

（２）　福祉社会を希求する目的としての価値（注-7）
　嶋田啓一郎によると『社会福祉とは、その置かれた社会体制のもとで、人間の社会生活上の基本的欲求の充足をめぐる個人と制度的集団との間に成立する社会関係において、人間の主体的及び客体的条件の相互作用により生起する諸々の社会的不充足或いは不調整関係に対応して。その充足、再調整、さらに予防的処置を通して、社会的に正常な生活水準を実現せんとする公私の社会的活動の総体を意味する』（注8）としている。
　ここには重大な社会福祉の前衛を考える示唆がある。それは、置かれた社会体制に左右されること。さらには、人間の主体的及び客体的条件の相互作用に着目している点である。さらに、嶋田は、『価値とは、多くの欲求対象のなかから、他を犠牲にしてある特定欲求を選択するに当たって、行為者主体の内面から支配する行動触発の基準である』(嶋田啓一郎著「社会福祉の思想と理論」ﾐﾈﾙｳﾞｧP9)としている。さらに、嶋田は、『価値とは、行為者にとって可能な種々の遣り方、手段、目的のなかから、選択するに当たって影響を与える「望ましきもの」(The desirable) に関して、個人あるいは集団の抱く明示的若しくは暗黙の概念である』としており、社会福祉の価値は、このような前衛的な側面を保持したものであって、不断の努力と積み重ねられた結晶のようなもののようである。さらに、嶋田は、社会福祉の基本理念を「全人的人間の統一的人格の確立」としている。ここにも、言葉の文脈(cntext)に、個々の住民の「意識」に規定される側面の醸成を目的とする必然性あると考えられよう。これまで、筆者が「意識の認識に規定される側面」（前掲、渡邉著を参照）として分析の枠組みと操作概念として意味づけをしてきたことも、この文脈(cntext)と合致する。まさに、現代社会における「暮らしの不安（自殺・虐待・孤立など）」の視点は、嶋田の「全人的人間の統一的人格」の醸成の課題であるように考えている。

（３）　福祉社会において求めるべき「ノルム」
　「ニード」の側面には、、社会関係の本質に基づいて形成される心理的・社会的・精神的欲求を意味し、衣食住のための集団生活の持続的関係のなかでの、一定の規範「ノルム（norm）」を分ち相うことによって、社会的義務を担っていることを嶋田は指摘しており、この規範「ノルム」こそ、流行に左右されない「福祉の規範」であり、三浦文夫の「公準」（注10）の確立の目的とも一致する。この公準は、福祉サービスの質量の総量に対する市民理解の水準という理解である。そこには、国民の負担という税のシステムの課題とボランティア活動などへの参画への姿勢の課題でもある。この国民的な参画の相対的な価値が、この規範「ノルム」には求められている。ここでも、言葉を加えるが、この意識の共有過程には、社会福祉問題認識の共有化（前掲、渡邉著を参照）の作業が求められていて、ある種の社会規制として、規範「ノルム」とする過程にこそ、福祉社会への歩みへの目的規範「ノルム」がある。福祉社会のニードとは、環境と素朴な「人の暮らし」を営む過程にあって、この規範「ノルム」を共有することによって成立をすると考えるべきである。繰り返しとなるが、「意識の認識に規定される側面」（前掲、渡邉著を参照）という枠組みを提起していることは、現代社会の生活問題や暮らしの不安が福祉サービスの総量では解決が困難な要素があるからでもある。そのことが自殺や孤立や虐待などの社会問題の根にあるという認識が求められている。そこでは、「存在の認識に規定される側面」（前掲、渡邉著を参照）だけによる福祉サービスの総量というシステムだけでは解決が困難であることである。ここに、現在の２１世紀過渡期の社会福祉状況のジレンマが見え隠れしている。

（４）　福祉社会の「イデオロギー 」
　２１世紀過渡期の社会福祉状況のジレンマから弱い立場の者を含む福祉社会の構築のためには、抽象的な福祉論では対応が困難であると指摘したい。それは、高度産業社会が持つ市場原理の追究と資本による競争社会という現状があるからである。経済効率と市場主義の立場では、時々の経済的な余裕の総量に左右されて、国民的な理解も流行に左右されるという危惧があるからである。
　したがって、前記したような規範「ノルム（norm）」を構築するという目的への意識の共有には福祉社会の「イデオロギー 」の構築という課題を持ち出さざるを得ない。
　正村公宏は(「産業主義を超えて」講談社学術文庫)（注9）において、『現実の社会の技術的・制度的諸条件に関する具体的知識の重要性を無視した一般的理論や思想は、不可避的にイデオロギｰに転化せざるをえない』ことを示唆している。さらに、『イデオロギーは、社会のある集団によって共有され、その集団に属する人々の判断の形成と行動の選択を規定する力を持つような「形式」の形をとった知識の体系である』としている。正村の主張は、ある理論あるいは知識が、イデオロギー化するためには、規範「ノルム」を共有して相応の説得力をもつことを主張する。それは、ある範囲における真実を含み、ある範囲において時代の要請あるいは課題に対応しうるものでなければならない。しかし、それは、イデオロギーに転化することによって、大きな社会的動員力をもつことに成功すると同時に、人々の判断と行動から、状況の変化に対処しうる柔軟性を奪うのであるとすることからもイデオロギーに対する理解を深める必要があるということへの理解である。
　マンハイム（Mannheim,K）（注10）は、「特殊的イデオロギー」を抗争相手が明確な場合の理念や思想として表現をして、さらに、「全体的イデオロギー」について、広範な一般的な人々の精神に関わることを著作「イデオロギとユートピア」（未来社訳書、1968）で指摘したことは著類である。このマンハイムの指摘に加えて、佐伯啓思は著作「イデオロギー、脱イデオロギー」（岩波書店1995 P26）において、全体的イデオロギーの時代となることを予想し、次のように指摘する『もともと現実から遊離した空疎な観念という意味を持ったイデオロギーという観念に、特異な尤物論的解釈を付け加え、人間の観念がいかに見せかけには真理に奉仕するようにみえようとも、実は自立性をもたず、略　経済的下部構造に縛られていることを指摘したマルクスである』とした上で、知識社会学の立場のマンハイムは、マルクス的イデオロギーからの新局面を提起したとしている。
　このように考えてくると、社会福祉の立場は、大衆の一般的な利害によるイデオロギーを背景とした場合は、時々の社会的な状況に左右され「流行」ではなく、絶対的な少数意見である社会福祉のニードを規範化できる福祉的イデオロギーを構築する必要があると考える。その理由は、社会福祉は、「福祉イデオロギー」として、地域社会における重篤な福祉課題を持つものへ公民が支援する市民権として位置づけられる必要があるからである。まさに「前衛的な福祉イデオロギー」を明確に保持することなく、社会規範として定着させることなく、「福祉は好いこと」という程度の価値では、社会の過渡期のご都合主義の「流行」でしかないからである。もちろん、教条主義的なイデオロギーとは意味が異なっている。

　第三　社会福祉の「ノルム」の醸成と社会福祉協議会の使命　
　（１）　福祉コミュニティ（「地域のレベルから福祉社会」）の創造
　このように考えてくると「国家のレベルから福祉社会」を構築することを目指す政策過程が第一にある（注11）ことは理解している。しかし、社会福祉は絶対的に弱い立場であり少数のニードと意見であって、大衆の利害や競争原理からは絶えず疎外されていることは明白な事実である。したがって、これを牽制できえる前衛的な社会福祉の規範を求めた「市民的運動体」が必要であると考えている。この運動体は民主主義的な議会制を背景とすることであり、さらに牽制機能を持つことが求められる。そこには、議員を選出する多数性の論理では、大衆の利害や競争原理が絶対多数となり「社会福祉の公準（注12）」は成立し難いことを危惧しているからである。
　「国家のレベルから福祉社会」の構築には、民主主義的な議会制によるものという楽観的な意見を踏まえて、新たな視点が提起することから始めたい。それは、「地域のレベルから福祉社会」を活動体と運動体としての視座による構築である。その理由は、産業社会国家や法治主義国家からの「国家のレベルから福祉社会」アプローチと対置する「地域のレベルから福祉社会」を活動体と運動体の構築が求められていると考えるからである。具体的には、人間として重篤なハンディキャップを持つ市民の権利は、当事者が主張できえないハンディがある以上、第三者の代弁が求められる。さらに、その代弁には、人間としての「共生」と「触れ合い」を基本としての「暖かい眼差し」が必要である。それも地域生活者同士の「暮らし」のなかから醸成されえるからである。ここに「地域のレベルから福祉社会」アプローチの視点と基本がある。
　この「地域のレベルから福祉社会の構築」を進めるためには、市民意識や住民生活感情（この両用語の精査は別稿にて）に深く関わり、生活問題や社会福祉問題を国民的な視点で共有していく必要がある。あわせて、「国家のレベルから福祉社会」の構築を政策レベルで進めるという視座が重要である。この両輪によるアプローチが、戦略的な福祉社会構築のシナリオとして国民的な合意形成の過程が求められている事自体が、本稿でいう「社会福祉の過渡期状況」の認識である。このことをさらに深めていくことこそが「社会福祉問題認識の共有化」の過程として「福祉教育（共育・協育）」の作業に期待されている。
　このような福祉社会の構築の作業を「福祉教育」として説明するためには、前述してきたような「価値」や「規範」と、さらに「福祉イデオロギー」を構築する必要を痛感している。本稿では、この「福祉イデオロギー」と福祉教育（共育・協育）との関係は論じる余裕がないために別稿で取り組みたい。
　では、この福祉社会の構築の作業を「福祉教育」として取り組み、さらに、福祉コミュニティ（「地域のレベルから福祉社会」）の創造を担う機関や組織は、何処にあるのかという疑問がある。もちろん、理想的な地方自治のシステムが構築されれば、行政自治機関に期待されるところである。しかも、住民自治組織としてのアプローチは、前記した英国のハムステッド地区で１９０６年に創設された社会福祉協議会（注13）の活動にあるのではないかと期待をしている。また、その作業主体をわが国では、昭和２６年に設立された社会福祉協議会（以下、昭和２６年社協と略する）に期待できるかは疑問がある。本稿では、これまで検討してきたように「社会福祉の流行」に左右去れがちな状況があり、さらに、昭和２６年社協は、今日的な福祉財源論や自己責任論の前には無力であるという現実である。やはり、「社会のパイ」が芳醇であって、経済成長の上では成立をしえても、２１世紀的な社会状況（人口爆発・環境問題・南北問題・宗教的イデオロギー対立など）の渦中にあって、安易な地域福祉や昭和２６年社協体制では、「地域のレベルから福祉社会」の構築は困難が予想される。その昭和２６年社協の経過を次に記述しておきたい。
　社会福祉協議会の歴史
1950年　「社会福祉協議会の基本要綱及び構想」
1951年　 社会福祉事業法の制定（社会福祉協議会の設置）
1957年　「市町村社会福祉協議会当面の活動方針」
1960年　「山形会議」
1962年　「社会福祉協議会基本要項」住民主体原則
1962年　「善意銀行」が徳島県社協に設置される。以後、全国に普及する。
1969年　「運動体社協」都道府県社協業務組織部長会議確認事項
1973年　「市町村社会福祉協議会強化要項」（地域福祉計画の策定）
1982年　「社会福祉協議会基盤強化の方針」
1983年　「社会福祉事業法の一部改正」によって、市町村社協の法制化
1985年　　ボラントピア事業開始
1986年　　社会福祉改革の基本構想（全社協基本構想懇談会の提言）
1991年　「ふれあいのまちづくり事業」
1992年　「新・社会福祉協議会基本要項」
1993年　「ふれあいﾈｯﾄﾜｰｸﾌﾟﾗﾝ21」の基本構想
1994年　「事業型社会福祉協議会」の構想
1996年　新「ふれあいﾈｯﾄﾜｰｸﾌﾟﾗﾝ21」の基本構想
1998年　社協経営改革の促進（当面の推進方針）
2000年　社会福祉法の第109条に明記

　（２）　福祉自治型の組織の検討
　昭和２６年社協は、前記したように1960年山形会議を経た社会福祉協議会基本要項社協へと歩みを重ねてきている。さらに、１９９０年福祉関係８法改正から新・社会福祉協議会基本要項社協へと進み、「事業型社会福祉協議会」へと、さらに「介護保険の経営型社会福祉協議会」へと進んできた。前記したような簡易な整理では限界が当然あるが、詳細は他の文献（真田是著「地域福祉と社会福祉協議会」や山口稔著「社会福祉協議会理論の形成と発展」など）を参照していただきたい。
　１９０６年英国のロンドン郊外のハムステッド地域（１５ﾊﾟﾘｯｼｭ教区と人口７万程度）で始まった社協活動は、トマス・ナンが主導し、民間の活動団体５１団体と、その代表者７４名が参加しハムステッド社会福祉協議会が結成されている。ここでトマス・ナンは「連携協力論」の立場から社協創設にあたったことは著名である。また、ウエッブ夫婦は「繰り出し梯子理論」を展開し、後日のナショナルミニマム論を構築したことは著名である。それは、社会サービスの構成が公的側面（税配分サービス）と寄付などの民間活動の役割を整理したものであって、グレイの「平行棒理論」とあわせて大きな意味をもってきた。さらに、1978年のウルヘンデン報告では福祉多元主義が提案されて公共私の分担が提起されている。このような背景を持って英国に始まる社協活動は、パリッシュ（教区）とチャリティ活動や寄付文化を背景とした「自治型住民活動」として発展してきた。その一つに社協活動があることを整理しておきたい。
　また、右田紀久恵は「自治型地域福祉」（自治型地域福祉の理論ミネルヴァ書房）を提起していて、牧里毎治（自治型地域福祉を語る月刊福祉1994-6）も自治に着目している。
　さらに、真田是は、住民主体原則について「戦後の客観的な政治・社会過程の重要ないくつかは住民主体の原則をとらえ込んで動いてきていたのだが、人々の意識に反する領域では、この原則は無疵で太平ムードのなかを過ぎてきたことになる」（地域福祉の原動力1992 P15）ことを指摘する（注14）。
　このようなことを整理して、「地域のレベルから福祉社会」の構築へのアブローチには、社協活動が、より自治型を志向し、より活動型を志向し、「前衛的な社会福祉運動体」としての福祉規範を明確に持つ必要があるといえよう。今日的な事業だけを志向して、介護保険という流行福祉に乗ってしまっていては、本来の意味の社協活動とはいえないことを明記しておきたい。しかし、住民自治型活動社協は、1960年の山形会議や社会福祉協議会基本要項の主張に後退すれば良いという単純な理解ではない。

　（３）　英国の自治と民間活動
　英国（United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland）の「パリッシュ（parish ）」が参考になる。このParish（教区）を単位とする教区会がコミュニティとして形成されていて、これが住民自治型活動を担ってきた歴史がある。一方では、行政組織は、基礎自治体としての「Vestry」と「Village」や地方政府（District council）そして、県レベル（County）が地方自治のシステムとなっている。さらに、1894年地方自治法でParishを単位とする議会活動が認知されてより、住民数百人から数万人の住民自治組織として活動が形成されてきた。そこではボランティア議会が活動し、パリッシュを単位として社協活動も創られてきている。英国社会福祉の歴史は、Charity Organization Society movement（慈善組織化活動）、Settlement movement（地域住み込み活動）は、民間非営利活動の基本として形成されてきた。
　例えば、公的部門と民間部門の役割を明確にした考え方に、次のような理論がある。グレイによる「平行棒理論」とウェッブ夫婦の「繰り出し梯子理論」に代表された公共私の役割の分担の考え方である。それは、第一段階を「平行棒理論」、第二段階を「繰り出し梯子理論」、第三段階を「協力関係理論」、第四段階を「批判的協力関係理論」と整理されることが多い。前記したようにロブソンが指摘した「福祉国家の追求という道程において、サービス水準（高福祉、中福祉、低福祉）と負担（高負担、中負担、低負担）というジレンマの過程に、「住民参加」という媒介が介入することによって、福祉コミュニテイ像が浮び上がる」ことでも「自由民参加」の重要性が確認できた。さらに、住民主体原則の原点であって、住民自治活動としてのパリッシュ型社協であるのかもしれない。
　基本的に、英国の社会福祉政策は、包括的な保健、福祉、住宅の三分野での連携によって進行した。この特徴はコミュニテイケア政策にある。次の三点である。
①　Social Security　(Social Policy and administration)（社会保障と政策展開）
②　Personal Social Service（包括的な福祉）
③　National Health Service（包括保健・医療）
　
　結語に変えて
　簡略に住民自治型活動社協とその使命について論考してみることとする。
　英国のパリッシュ型住民自治の形成と、小地域での福祉活動の醸成が、この住民自治型活動社協の一つモデルであるというのが本稿の主旨である。ここでは、公私連携（行政対住民）のあり方が楽観的なものであってはならないし、さらに安易な「協働」であってもならない。この論点に、本稿が指摘してきた住民（市民）と行政の間には、牽制機能とし「市民運動体」や「市民活動体」が必要であると考えている。特に、社会福祉問題では、一般生活問題とは異なり、前衛的な社会福祉の規範が必要となっていることを指摘した。　また、住民自治型社協のあり方のモデルに求められることとして、その活動を担う社協は、当然なこととして福祉観を共有できる「社会福祉問題認識の共有化」を可能とする福祉コミュニティ活動や福祉教育（共育・協育）の活動にあるといえよう。
　最後に「社会科学の知」としての学際的な成果を総動員して「社会福祉」の規範や価値を検討する作業を急がなくてはならないと考えている。そのような問題意識から、前衛という視座を組み入れてみた。
注－１　高澤武司著「過渡期の社会福祉状況」ﾐﾈﾙｳﾞｧ書房1973
注－2　今村仁司には、著作として「近代の思想構造」人文書院1998、「アルチュセール」講談社1978
注－３　渡邉洋一著「コミュニティケアと社会福祉の展望」相川書房2005
注－4　W.A.Robson ‘Welfare State And Welfare Society’ 1976 序文
注－5　正村公宏著「福社会会論」1989　創文社現代経済学選書p.23、福武直著「福祉社会への道」岩波書店1986
注－６　高度産業社会については、富永健一著「日本産業社会の転機」東大出版会1988、宮澤健一著「高齢化産業社会の構図」有斐閣1992
注－7　社会科学の成果としての「価値」については、廣松渉著「世界の共同主観的存在構造」けい草書房1972、見田宗介著「価値意識の理論」弘文堂1966、作田啓一著「価値の社会学」岩波書店1972などを参照。
注－8　嶋田啓一郎著「社会福祉と諸科学ー社会福祉研究の方向を求めて」日本社会福祉学会編、「社会福祉学」第１巻第１号 1960 p.13
注－9　前掲、正村同著「福社会論」1989　p.23
注－10  Karl Mannheim‘Ideologie und Utopie’1929 鈴木二郎訳「イデオロギーとユートピア」1968　未来社
注－11　三浦文夫著「社会福祉政策研究」全社協
注－12　前掲、三浦同著「社会福祉政策研究」全社協
注－13　市瀬幸平著「イギリス社会福祉運動史」川島書房2004や竹下謙著「パリッシュにみる自治の機能」イマジン出版2000などを参照。
注－14　真田是著「地域福祉と社会福祉協議会」や「地域福祉の原動力」かもがわ出版、小倉襄二著「市民福祉の政策と思想」世界思想社1983
所属　青森県立保健大学
名前　渡邉洋一（わたなべよういち）
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">1.論文</category>
        
        
         <pubDate>Fri, 30 May 2008 13:16:21 +0900</pubDate>
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         <title>　「地域福祉研究室pipi」の活動を進めてきて思う</title>
         <description>　「地域福祉研究室pipi」の活動を進めてきて思う
　　　　　　　　　　　　　　　　　　NPO法人地域福祉研究室pipi総括責任者　渡邉　洋一
　私自身も青森県立大学に籍を移して3年目となりました。
　「地域福祉研究室pipi」を特定非営利活動法人として活動を開始して、ホームページの上での活動も数年が経過しました。この‘pipi’は、地域社会の住民の意識に中にあって、個々の住民の心に働きかけます。住民の福祉意識の醸成を自然発生的に促すことが‘pipi’の役割だと考えてきました。昨年からは、ＳＮＳの「ミクシィ」にも幾つかのコミュニティを立ち上げてきました。ここでも「わかりやすい福祉」を広めたいからでした。

　私たちは、日々の日常の暮らしの中にあって、直接に私たちの生活にかかわらない事柄や物事には関心を持ちません。しかも「めんどくさい問題」に対しては排他的でもあります。特に、社会福祉の問題にあっては、当事者以外には、なかなか関心を持とうとしないのが現実です。ややもすると、他人事・関わりたくない事として関心をよせません。しかも、年齢を重ねると更に防衛的になり、無関心を装います。
　しかし、自分たちが高齢期に直面すると、初めて自分のこととして関心を持ち、その対応に焦り始めることとなります。この時には、自分自身の老人問題には関心があっても、障害者問題などには無関心となりがちであるといえます。
　なぜ、社会福祉問題を地域社会の視点から、考えなければならないのでしょうか。地域社会での住民の意識は、社会福祉問題には、なるべく関わりたくないというのが本音でしょう。特に、精神障害者問題などに対しては排他的です。さらには、税金を高くして(消費税など)まで、福祉の財源を税金で負担することには抵抗があるのが現実です。
　しかしながら、住民の社会福祉問題への関心と理解が深まることなく、社会福祉問題の本当の解決にはならないことは誰にでも理解されるようになってきてはいます。それは、高齢社会の問題などの影響だと考えられます。ただ、その理解は、具体的な問題解決や住民の相互扶助を積極的に実施し合うという段階にはなってはいません。まして、寄付文化を創り出して、税と寄付による福祉社会を創造しようとは考えられていないからです。しかも、行政には、ボランティア活動への国民的参加を促すことで、財政上の不足を補うという姿勢がみられます。住民参加型在宅福祉サービスなどに具体的に表れています。このことは、公的責任の転化として危惧しなければならないことでもあります。
　　
　私たちには、公的責任を第一義的なものとしながらも、社会福祉問題を地域社会の問題として取り組むという至難の技が求められています。より積極的な市民活動の活性化と寄付文化の創造です。
　‘地域福祉研究室pipi’は、法人としての活動ではありますが、あの種の塾という活動の場です。それは、同じ志を持った仲間によって、地域社会を耕し、住民の個々の心に働きかけることを使命としてきました。さりげなく、出会いと触合いを大事にしながら、本当に、さりげなく浸透するかのように、住民の暮らしに自然に働きかけられればと考えています。
　私は、よく引用しますが、英国のM ﾍﾞｲﾘｰは、‘Care in the community’と‘Care by the community’について次のように指摘をしています。
　「地域社会に住む住民による、住民のための福祉活動」を醸成するためには、‘ Care in the Community’の段階である「地域で生活していくための条件整備、在宅福祉サービスが行政に制度化、組織化されているものの、隣近所の人達が声をかけあい、励ましあうという活動が未発達な状態」から、‘ Care by the Community’の段階である。「地域で生活していくための条件整備、在宅福祉サービスが行政に制度化、組織化されていることは当然として、近隣の関係が成熟している状態で、声かけ、見守りの援助が地域に形成されている状態」を創り上げる必要性を指摘しました。
　まさに、この‘ Care by the Community’の段階を創り上げることが‘ぴぴ’の活動そのものといえましょう。
　‘塾’とは何を目指し、どのような活動をする場なのでしょうか。例えば、‘松下村塾’は吉田松蔭によって、明治維新の原動力である多くの人材を輩出しました。松蔭は、「万巻の書を読むに非ざるよりは、寧(いずく)んぞ、千秋の人たるを得ん。一己の労を軽んずるに非ざるよりは、寧(いずく)んぞ、兆民の安きを致すを得ん」と塾に掲げました。
　この言葉は、住民の安寧を創りだすための志を示しているといえましょう。社会の平和を礎として、「安心・安寧・安生」の暮らしや地域社会を創り出すことを示唆していると考えられます。

　地域社会は、ある意味では「重篤な課題がある高齢者・障害者」には冷淡なのかもしれません。「棄老伝説」にある姥捨て物語などにみられるように、集落や部落を守るためには「間引き」などをしなくては成立しなかったのかもしれません。このような素朴な地域社会に対しては、「ある意図」をもって働きかける必要性があると考えます。その意図を持って科学的に働きかけることが「コミュニティワーク」だと考えています。
　当然なこととして、「重篤な課題がある高齢者・障害者」の「安心・安寧・安生」には、第一義的に公的責任があることは当然です。しかも、あわせて、市民活動や寄付文化による「地域扶助」の活性化や、隣近所の「相互扶助」の活性化が求められているからです。私達には、三つの義務(教育を受ける義務・労働義務・納税義務)が憲法のもとに課せられています。しかし、‘地域福祉研究室pipi’は、三つの義務に加えて「地域への参加の義務」や「郷土愛」などの「地域参加義務」が求められていると考えます。
　ここには、「社会福祉の主体的な自己責任」が問われているという問題意識があるからでした。この「主体的な自己責任」は、経済的なことだけではなく、自らの暮らしに対して「生き抜く力」や「人と関わりを持つ力」を積極的に獲得しなくてはならないという意味です。この主体的な力を持つことで、例えば、「自殺」や「虐待」や「閉じこもり」が少なくなるのではないかと考えています。
　‘地域福祉研究室pipi’は、このような問題意識を保持しながら活動を継続していきます。
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">5.その他</category>
        
        
         <pubDate>Sun, 02 Mar 2008 23:17:34 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>ホームページ</title>
         <description><![CDATA[●<A Href="http://www.npo-pipi.com/" Target="_blank">NPO法人地域福祉研究室pipi</A>
●<A Href="http://www.npo-pipi.com/jicw" Target="_blank">日本コミュニティワーク研究所</A>
]]></description>
         <link>http://www.chiikifukushi.com/2008/01/post_5.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">4.リンク集</category>
        
        
         <pubDate>Wed, 02 Jan 2008 17:17:46 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>業績書</title>
         <description><![CDATA[●平成３年８月 
　共著 「ケアーワーク入門」施設ケア編障害者ケアワーク10P 第一法規 
<HR color="#FF00FF">

●平成４年５月 
　共著 「ケアーワーク入門」地域ケア編障害者デイサービス10P 第一法規 
<HR color="#FF00FF">

●平成８年８月 
　共著 大橋編「地域福祉実践の展開と方法」『社会福祉施設の多機能化と地域福祉資源としての位置』20P 東洋堂企画 
<HR color="#FF00FF">

●平成９年６月 
　共著 社会福祉援助技術各論Ⅱ『第４章　社会福祉計画』20P 全社協 
<HR color="#FF00FF">

●平成１２年４月 
　単著 コミュニティケア研究　 相川書房 ]]></description>
         <link>http://www.chiikifukushi.com/2008/01/post_4.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">1.業績書</category>
        
        
         <pubDate>Wed, 02 Jan 2008 02:59:36 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>プロフィール</title>
         <description>渡邉洋一　
　　NPO法人　地域福祉研究室統括責任者
　　日本コミュニティワーク研究所最高顧問
　　渡邉地域福祉研究室所長
</description>
         <link>http://www.chiikifukushi.com/2008/01/post_3.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">3.Profile＆業績</category>
        
        
         <pubDate>Wed, 02 Jan 2008 02:58:40 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>地域福祉計画に関する基礎的研究</title>
         <description>問題の所在
　社会保障の体系と社会福祉サービスの体系が、平成２年の社会福祉関係八法の改正を経て大きく変容している。このサービスの体系の変容は「地域福祉」を基軸にして医療・保健・福祉の領域でのシステムを再編制しているといえる。特に、平成９年１２月の介護保険法の成立によって、高齢者の医療・保健・福祉の領域が社会保険方式として新たな局面を迎えている。さらに、中央社会福祉審議会では「社会福祉基礎構造改革」（社会福祉事業の在り方に関する検討委員会）が主要な論点として公表している。平成１０年６月には、中央社会福祉審議会に設置された社会福祉構造改革分化会において「社会福祉基礎構造改革について（中間のまとめ）」の答申として取りまとめている。この動向に基づき戦後５０年の社会福祉の基盤の抜本的な改革を目指して、平成１１年の３月の通常国会では、この中間の答申を盛り込んだ大規模な法改正が予定されている。　この動向を背景とした本稿の第１の論点は、社会福祉の計画の領域での「地域福祉計画」の位置の検討にある。たしかに、平成２年の八法改正によって法律的には、社会福祉サービスは普遍化し、社会福祉サービスの公的実施体制の機関委任事務 が団体委任事務化したことで大きく変化した。特に、改正された社会福祉事業法第３条に「計画的な実施」という文言が入ったことによって、市区町村自治体での在宅保健福祉サービスが総合的・計画的な実施が期待されることとなった。また、高齢者の領域では老人保健福祉計画によって先行し、介護保険制度によって公的整備が進みつつある。今後、障害者の領域などとあわせて、それらを総合的な行政福祉計画として収斂することへの期待が生まれた。そのようななかで、社会福祉事業法の予定される改定の内容では、総合的な行政福祉計画を「地域福祉計画」として位置づけ法律に明記しようとしてる。ここでの地域福祉計画の意味を問う必要がある。　本稿の第二の論点は、「地域福祉計画」に基本的に期待されるあり方と、公的責任を明確にすべき行政計画の関係の検討である。これまで、地域福祉計画は、社会福祉協議会による住民主体の活動の活性化のために必要性がうたわれてきた（その実行性・効果性については論議がある）。なお、行政計画においては、各法律（老人福祉法、障害者基本法など）によって個別な福祉計画が位置づけられるようになってきた。しかし、この個別法（老人福祉 法、老人保健法、障害者基本法など）に依拠した福祉計画であれば、この個別計画を各自治体ごとに「総合的な福祉計画」として、地方自治法での「総合計画」にすり合わせ計画化すればいいことである。このように、地域福祉計画が行政計画としての単なる「総合的福祉計画」であっていいかという問題である。　このような論点を検討し、「地域福祉計画」が重層的な構造を持っているとの仮説を提起したい。それは以下のような構造として公共私の関係の止揚関係として検証したい。　それは、第１として、行政責任を明確にする「総合的な行政福祉計画としての地域福祉計画」である。第２としては、「公私協働の促進の地域福祉計画」の基本的な位置の問題である。次に、「自治を志向した地域福祉計画」という住民の活動計画であり、当事者の活動計画の在り方の問題である。この地域福祉計画の三層の構造について考察をする。そのために、計画論という視点に立ち返って検討したい。


Ⅰ　社会福祉計画の位置

　(１)　計画の基本的視点　
　２０世紀初頭に「社会計画論」の先駆者として大きな業績を残したマンハイム(K.Mannheim)は、『社会計画がめざすべき基本方針は、産業化にともなって現出している「形式的合理性」を「実質的合理性」に転じることであり、そのためには、無定形なエネルギー状態にとどまっている大衆の潜在的創造力を合理的な水準において活性化させることが不可欠であるから、社会計画はたんに制度の次元にとどまらず、人間主体やパーソナリテイの次元にまで拡大されなければならない。したがって社会計画は教育の問題をその基礎に含むと同時に、計画そのものがどこまでも「自由のための計画」として考案されなければならない。』と指摘している（注１）。このことは社会計画は民主主義の発展と相補的な立場にあり、民主主義の拡大をもたらすものとしていることがわかる。このように、マンハイムがいう「民主主義の実現のための手段としての計画」の視点は、２１世紀のパラダイム転換を模索した「福祉社会」の構築のためには必要不可欠となっている。　社会福祉の領域の計画は、基本的には社会計画の１分野である。この社会計画について、高田真治は、『社会計画とは、社会的な計画のことをさ すが、この場合の社会の意味は、個人、もの、経済、国家といった社会の反対概念との対比のなかで考えることができる。①計画の対象を総合的なものとして捉らえること、②社会政策の計画化を含んでいること、③計画の策定において参加を重視していること、などの契機をふくんでいる』としている。さらに、高田は、行政の計画について『ある理念・構想に基づいて策定された目標の達成のために計画は策定されるが、これには多くの人的資源、財源が投入される。そしてその実施には、それ以上の諸資源が必要になるであろう。目標に照して結果は評価され、フィードバックされる。行政計画においては、計画は行政を中心に住民参加によって策定され、計画は行政の資源調達によって実現されなければならない。計画策定と実施に必要・十分な資源の投入と制御の保障なしに、行政の計画的推進のみを強調するのは自家撞着である』（注２）という指摘がある。また、行政計画については次のアピール（計画行政学会のアピール）が著名である。『計画は、行政によって実現される。そして社会は無数の計画と行政によって動いている。しかし、残念なことには、計画と行政との関連には十分に満足すべ き状態にはない計画の源泉には思想と科学があり、行政の基盤には組織と技術があって、それらが相互にからみあっているからである。』とされる。このように、社会計画の役割は、行政計画としての側面が濃厚であり、社会政策との連携が重要である。社会政策の計画的推進の中心的な課題が「社会福祉問題」として顕在化していることがいえる。



　（２）　社会福祉計画の動向　
　平成２年(1990)年社会福祉関係８法の改正によって、社会福祉事業法第３条には「社会福祉事業その他の社会福祉を目的とする事業の広範かつ計画的な実施につとめなければならない」と明記された。あわせて、老人福祉法では「老人福祉計画」、老人保健法では「老人保健計画」の策定を明記し、地方老人保健福祉計画として一体的に策定を都道府県ならびに市町村での義務化がされた。次いで、平成５年(1993)年には、心身障害者基本法が改定され「障害者基本法」が成立した。ここでは、障害者計画として地方自治体での策定義務化はされてはいないものの策定の努力を法的に明記している。最近では、平成９年に、介護保険法が成立し、平成１２年の開始に向けて「介護保険事業計画」が策定されようとしている。このように平成２年に始る、一連の社会福祉改革の推進を経て、現在、中央社会福祉審議会での「社会福祉基礎構造改革」の動向を受け厚生省の内部で論議されている。ここでは、社会福祉事業法が改定が予定され、「地域福祉計画」の用語の法律への明記と策定義務が盛り込まれる可能性がある。そのような中で、行政計画での社会福祉計画の種類は次のように整理できる。　
　①　行政計画としての「社会福祉計画」　　
　　ア　行政計画としての「老人保健福祉計画」　　　（新ｺﾞｰﾙﾄﾞﾌﾟﾗﾝ）　　
　　イ　行政計画としての「公的介護保険事業計画」　　　
　　ウ　行政計画としての「障害者計画」　　　　　　 　（障害者プラン）　　
　　エ　行政計画としての「児童福祉計画」　　　　　　（エンゼルプラン）　　
　　オ　行政計画としての「総合的な福祉計画(地域福祉計画)」　
　②　行政計画としての「隣接計画」　　
　　ア　行政計画としての「地域保健医療計画」　　
　　イ　行政計画としての「市町村母子保健計画」　　
　　ウ　行政計画としての「過疎地域活性化計画」　　
　　エ　行政計画としての「広域市町村計画」　　
　　オ　その他の行政計画　
　一方では、社会福祉協議会にあっては、１９６２年の「社会福祉協議会基本要項」において「地域福祉計画」を地域組織化活動の一環として位置づけ、社会福祉協議会発展計画・強化計画として取組まれてきた。また、平成５年(1993)年には、新・社会福祉協議会基本要項において、「地域福祉活動計画」の策定が提唱された。そこでは、民間計画としての「活動計画」としての特徴を持ち、「ふれあいﾈｯﾄﾜｰｸﾌﾟﾗﾝ21」をビジョンとして、住民から信頼される事業型の社会福祉協議会の計画として位置づけられている。しかし、公的介護保険事業など下請けする事業型社会福祉協議会のあり方には疑問の声もあがっている。社会福祉協議会に求められる地域福祉の推進機関としての意味や住民の日常的な生活問題を解決するために果たすべき役割は、行政の下請機関としてだけではない。その視点からも、「地域福祉計画」に「活動」をいれたことの意味を再吟味する必要があろう。


　（３）　社会福祉計画の内容と地域福祉計画の位置
　前記の検討から、社会福祉計画および地域福祉計画に求められる内容として下記の事項が考えられる。　
　　①　個々のサービス間の調整及びケアプラン（個別援助計画としての社会福祉計画）　
　　②　サービスのための資源の開発と調達（社会資源の調達計画としての社会福祉計画）　
　　③　施策担当行政の組織計画化（行政計画としての社会福祉計画）　
　　④　他の福祉関連分野である住宅、環境、教育、雇用、保健医療の関連性の確保（社会計画のなかの社会福祉の隣接の計画）　
　　⑤　住民参加のための公私協働の計画（活動計画、行動計画など）　
　　⑥　住民自治としての活動計画（当事者計画など）　
　第１として、住民の個々の「求めと必要に応じた」ケアプランの確立の段階である。それは、縦割り的に制度ごとの提供であったサービスを包括的に提供（ケアマネ－ジメント）できる援助計画としての直接サービスを提供する計画の側面である。第２としては、既存のサービスの量質では対応できないサービスは、将来に必要とされるサービスの質量の社会資源を開発する資源計画の側面である。例えば、新ゴールドプラン、エンゼルプランや障害者プランなどの社会資源の整備目標の側面がある。第３としては、住民が個々の「求めと必要に応じた」サービスを利用しやすい提供体制を構築するために、社会福祉行政の組織や実施体制の変容が求められることである。これまでの社会福祉は福祉事務所中心であったが、団体委任事務の推進のなかで、区市町村の窓口が第一線のサービス提供の責任を持ってきた。そのサービス提供の権限を区市町村が人口規模、立地条件に合せて行政と民間専門機関の間で役割分担を計画的に進める必要が生じている。この組織面での再編制計画の側面である。第４としては、社会福祉行政だけでなく、区市町村の住民の生活に関する行政関係機関全体での計画的統合、計 画的組織化の課題への対応である。具体的には、第３の組織計画である社会福祉行政の内部再編成計画を越え、横断的な地方自治体再編制計画としての組織計画の側面である。このように第１から第４までは、公的・制度的な行政の計画化の段階であった。第５と第６は、社会福祉サービスの運営やコミュニテイワークの分野に対しての住民参加、住民参画、住民自治の促進のための計画である。　特に、第５としては、社会福祉協議会などが、ボランテイア活動の計画的推進や住民参加型相互支援活動の活性化のための活動計画の側面で重要である。この側面の特徴は公的側面と民的側面の相互乗り入れの段階であり、公私協働のレベルの計画と考えられる。さらに、第６の段階は、非制度的、純粋に民間活動の活性化及び自治の段階である。例えば、障害者当事者計画が障害者自身によって策定されるいることや、生活協同組合や農業協同組合などが福祉サービスを企画実施するために福祉計画の立案も求められることが考えられる。しかし、この第６の側面は、今後の社会福祉計画の新しい課題として取り組む課題であり、一部の障害者自治計画がみられるものの具体的な計画とはなっていない。　このよう な検討から、これまで「地域福祉計画」という計画を明確に位置づけ、規定してきたものはないといえる。しかし、行政計画の一部として期待される地域福祉計画では、計画は単純に、老人福祉の領域、障害者の領域の寄せ集めの計画ではない。行政計画として期待される地域福祉計画は、日常の生活における住民の自立生活を支援する、新しいサービスシステムとして、地域を基盤としたサービスを軸にした地域福祉に関する計画であるといえる。そこでは、具体的なサービスの目標（資源計画）を持ち、既存の社会福祉サービスや社会福祉行政の再編制（組織計画）を含んでいる計画ということがいえよう。


Ⅱ　社会福祉計画の住民参加
　
　一般的に計画においては、「予測モデル」と「政策の事前・事後評価」によって構築されるといわれる。しかも、新たなパラダイムの実現のビジョンを基本としたものである必要がある。そのパラダイムの実現のビジョンのために民主的な手段としての計画は、「予測モデル」の実現性の確保とビジョンの柔軟性が求められる。そのために「参加」の視点が確立される必要がある。パレート（V.Pareto）は（注３）、現代社会を特徴ずける一つの概念として開放社会（open society）をあげており、閉鎖性（close system ）と開放性（open system）という視点の重要性を指摘している。なお、ケーニッヒ（R Konig ）は（注４）、社会変動の一環としての変容について「計画」の重要性を指摘している。この視点から、計画における留意すべき視点に市民の参加による開放性（open system）が重要な意味があることがわかる。この開放性（open system）確保と行政機構が持つ官僚性（bureaucracy）との間には葛藤が当然のこととしてある。計画の過程における参加性の確立は、双方向性の確保による評価と市民による統制のためにも市民参加の位置を検討する必要がある。　これまで、行政計画にあっては、行政機構が持つ官僚性による中央集権的な政策過程がみられた。しかし、最近の動向は、地方分権へ方向が示され、部分自治から完全自治、名目参画から実質参画へと計画策定過程も変化しつつある。この住民対行政の関係は、次の第１ﾚﾍﾞﾙから第２ﾚﾍﾞﾙへと変ってきている。　
　第一ﾚﾍﾞﾙ　　対象住民が中心となって、公共機関に地域福祉サービスの立法的、行政的整備、拡充、創設を要求する運動型参加　
　第二ﾚﾍﾞﾙ　　地域福祉サービスの計画立案、運営のために公私機関、施設、団体および住民や対象者の協力関係をつくりだす公私協働型参加　
　しかし、「参加 （PARTICIPATION）」は、名目的な参加から、主体的参加、企画、自主運営、当事者管理（ｾﾙﾌ ﾍﾙﾌﾟ）、市民管理という段階が設定できよう。このことを検討するうえで次のことが参考となる。

　【住民参加の８段階】 S.R.Arnsteinがある。　
　①　参加の形をとった操作、　②　責任回避のための代用処置、③　情報提供、 　④　形式的な相談による参加、⑤　宥和、一定の影響力、⑥　パートナーシップ、 　⑦　権限委譲、　⑧　自主管理、 　上記のアーンスタインの用語を引用すれば、「参加の形をとった操作」「責任回避のための代用処置」「情報提供」「形式的な相談による参加」の段階は、部分自治であり、名目的な参加のレベルとされる。「宥和、一定の影響力」「パートナーシップ」の段階でも、部分自治であり、名目的な参画のレベルであろう。名目参画から実質参画になるレベルは、「権限委譲」「自主管理」の段階である。この「権限委譲」「自主管理」を原則とした住民自治の計画を念頭に置くことなく、名目的な住民参加をうたう当事者計画や活動計画では、社会福祉における民主主義の計画とはいえまい。　なお、住民参加（市民）について、西尾勝は「運動」、「交渉」、「参画」、「自治」のレベルに整理する。この「自治」の到達点は、形式的な行政事務を団体委任事務化したことだけで、自治が確保されたものとは認知しがたい。この「自治」の到達点には「権限委譲」「自主管理」を原則としたものであるべきである。　このように、行政計画にあって、第１のレベルでの「参加の形をとった操作」から第１のレベルの「パートナーシップ」の段階であっても名目的参加ではな く市民参画が有効性を確保するためには、次の４点に留意すべきであろう。
　　《有効生の担保》
　　①　住民が決定手続きの日程を事前に知らされている
　　②　住民が検討や判断のための資料や材料をあらかじめ入手している
　　③　質疑応答をある程度繰り返す機会が保障されている
　　④　それらが住民の身近な場にある必要がある。

　

Ⅳ　社会福祉の領域での行政計画と住民自治計画の相関関係

　（１）　地域福祉計画の構造　


表１　地域福祉計画の構造
総合的な行政計画としての地域福祉計画　　資源計画・組織計画 行政責任 Accountability
（説明実施責任） 
公私協働の促進のための
地域福祉連携促進計画 連携促進計画
協働促進計画
参画促進計画 Liaison (連携) 計画
Collaboration(協働)
Interweaving(参画・連係) 
自治を志向した地域福祉計画 住民活動計画
当事者活動計画 主体形成
・自治計画 Inclusion(包摂)
Empowerment(主体形成) 


　これまでの検討から、上記の表－１のように、行政責任を明確とする行政計画と止揚関係にある住民自治計画が不可欠であることを指摘したい。社会福祉問題という住民の生活の根底にかかる社会福祉計画は、制度的な保健福祉サービスを整備することだけでは、住民が安心して生活を継続することは不可能である。非制度的な側面として、住民の相互支援活動を醸成し、日常的な生活の場面において支えあう活動が必要である。しかも、制度的な保健福祉サービスは、利用しにくく、生活のうるおいをもたらすものとはなりにくい面がある。したがって、地域社会に住む住民の責任、たとえ障害を持っていたとしても地域に住む責任を果たすことが必要であり、日常的な生活の場面での住民自治を確立するための住民の自治のための活動計画が求められているといえよう。しかし、第一義的な責任としては、行政責任（accountability）を明確にしなければならないことが前提である。　この両者の関係は止揚関係であって、両側面が対置することから、民主主義の進展、地方分権化の進展、規制緩和の進展などによって、市民と地方自治体との間の契約行為が自治の面で確保されて始めて、公私協働の計画 が策定されることとなる。この市民と地方自治体との間の契約が国民負担やサービスの公準のレベルで成立することが前提といえよう。　したがって、民主主義・地方分権化・規制緩和の進展が未成熟な段階にあっては、地域福祉計画は上記の表のように、「総合的な行政計画としての地域福祉計画」と「自治を志向した地域福祉計画」に分離して位置づける必要がある。また、この両者を連携させる計画として、「公私協働の促進の地域福祉計画」が位置づけられる。この「公私協働の促進の地域福祉計画」とは、住民の相互支援の活動への支援や、当事者の相互支援の活動への支援や事業の計画実施などを行政に変って支援し、連携 (Liaison)（注５）、 協働(Collaboration)（注６）、参画・均衡 (Interweaving)（注７）を促進する地域福祉計画の一部を成すことが考えられる。この「公私協働の促進の地域福祉計画」が、民主主義・地方分権化・規制緩和の進展を促すことも当然なことである。このことは、「自治を志向した地域福祉計画」に求められる地域社会の主体形成を促進することの重要性と同意である。この視点ではエンパワーメント( empowerment)の理論（注８）が参考になる。この意味からも「住民活動計画」や当事者団体の計画としての「当事者活動計画」が多く策定されることを願いたい。また、「公私協働の促進の地域福祉計画」を策定し、担うべき機関がどこであるべきかは今後研究を進めたい。しかし、地域性が高く、各地方自治体で住民の間において契約行為によって決めていくこととなる。　このような検討から、基本的に、平成１１年度当初に予定される社会福祉事業法の改正において、「総合的な行政計画としての地域福祉計画」としての特性を明文化することによって、行政責任を明らかにし、更なる地域福祉の推進を望みたい。しかし、「公私協働の促進の地域福祉計画」の領域まで行政計画に組み入れることは、民主主義・地方分権化・規制緩和の進展が未成熟な状態である現状では、課題があることがいえよう。



結び

　英国で、社会保障に関する新しいグリーンペーパーが論議されている。1998年3月26日に‘New ambitions for our country’《A New Contract for Welfare》と題されインターネット上に流され市民からのアセスメントが図られている。ここでも、国家と市民の「再契約」がいわれ、新しい社会保障の１２項目にわたる素案が提起されている。この特徴は、社会保障のビジョン構築をグリーンペーパーとして公開し、市民の意見と参画を図っている。その上で政府白書が提案され、法律化する手続きが英国の特色といえる。この透明性と民主的手続きはたいへん参考となる。　それに対して我が国では、星野信也も指摘している（注９）ことと同意であるが、我が国の地方自治は国からの制限列挙ではなく、包括的授権である。このことは機関委任事務から団体委任事務に変ることで社会福祉のあり方が根底から改革されたとは言い難い側面がある。なぜならば、地方自治体には「許容権」があり、これまでもやる気持があれば地域福祉計画として総合計画化できていた（実際、やる気がある自治体では地域福祉計画を策定してきた）。しかし、権限の中央統制と予算的な縛り（地方交付税や紐つき補助金）があったことに起因する地方自治の未成熟であったことが根底にある。そして、今回の法律改正に よって、地域福祉計画を策定することの義務化は一定の意味を持つ。地方分権化・規制緩和によって地方自治のあり方が大きく変ろうとしていることも理解できる。しかし、社会福祉関係法が対象別法として存在する以上、社会福祉事業法に「地域福祉計画」を盛り込み得ても、星野が指摘するとおり、「単なる行政の予定化にとどまり、必ずしも住民ニーズへの対応となりえない」という危惧がある。したがって、実行性を確保した「地域福祉計画」には対人福祉サービスの包括法としての「社会福祉サービス法」が不可欠であるといえる。したがって、社会福祉計画は、行政責任を明確化した行政計画と止揚関係にある「当事者計画」が不可欠であって、この対置による民主主義的な地域福祉計画の進捗に期待をしたい。しかも、民主主義、地方分権化と規制緩和の未成熟な段階にあっては、社会福祉サービスの利用者が少数者・弱者という側面が残存していることは否定できない。このことからもエンパワーメントの重要性が認識できよう。　なお、このような地域福祉計画を検討するうえで残された課題としてコミュニテイ理論を検証する必要がある。例えば、英国のミッシェル・ベーリー(Bayley M)(注10)が提起したインターウェービング理論（interweaving）や‘Network of services within the community’の視点としてのコミュニテイ醸成の段階理論が参考となる。特に、‘Care in the community’のレベルから‘ Care by the community’のレベルへとコミュニテイの福祉力が形成される段階として‘by the community’の意味が地域福祉計画における「自治を志向した地域福祉計画」を考察するうえで重要な視点である。このことは別稿で検討したい。　このような考察から、地方自治に対する新しい在り方の模索は、機関委任事務から団体委任事務化は、地方分権の第一歩に過ぎない。形式的な団体委任事務化は、星野は『立法によるコントロールへの固執は、逆に立法統制の空同化を招く危険を行政学者は指摘する』という（注11）。地域福祉における自治は、アーンスタインがいう「権限委譲」、「自主管理」のレベルの確立が不可欠であり、「権限委譲」、「自主管理」を保障できないという制限を持つ行政計画では、地域福祉計画という名称を保ち得ても、予算確保のための立法構想にとどまるという危惧があることがいえよう。　最後に、保健福祉サービスの領域でのシステムは、規制緩和（Delegation）、地方分権化（Decentralization）という下部構造の強化を必要としている。それは、地方分権化を越えた「第三の分権化」（注12）が求められることである。このことは、地方自治の分権を越え、更なる当事者や住民への権限委譲の推進の必要性でもある。しかし、効率化と安上がりのサービ ス提供を基本とする過度の規制緩和には問題があろう。この社会福祉サービスの市場化の是非は別稿で取り組みたい。

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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">1.論文</category>
        
        
         <pubDate>Wed, 02 Jan 2008 02:56:36 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>地域を基盤とした社会福祉の基礎的研究</title>
         <description>問題の所在 　
　筆者は、拙著「コミュニティケア研究」(注１)において、地域福祉概念の曖昧さを指摘するとともに、地域福祉概念の枠組みを「新しい社会福祉」という形態へと発展途上にある止揚状況を示しているとした。その枠組みにおいて、新しい社会福祉との関係性を考察するために、次のような分析軸を設定をした。それは、「存在の認識に規定される地域福祉」と「意識の認識に規定される地域福祉」とする枠組みである。もちろん、「存在の認識に規定される社会福祉」と「意識の認識に規定される社会福祉」という枠組みであってもほぼ同意であるとした。しかし、同意であるとしたが社会福祉と地域福祉の差異は認識しなければならないことが前提である。その意味の差異について以下で考察するなかから問題を提示したい。 　
　上記の地域福祉の枠組みと分析軸に関して牧里毎治から、抽象的であって操作概念ではないかとの疑問を投げかけられている(注２)。本稿では、それらの批判に対して応えるというよりも、前著において説明が不足していた側面を加筆するためにさらなる考察を加えることとしたい。 　
　いずれにしても、このような枠組みが求められる背景には、地域福祉概念が基本的に持つ曖昧さがあることにある。とりわけ、社会福祉概念と地域福祉概念の位置関係や差異については明確な枠組みを提示することには困難さがあった。しかし、社会福祉基礎構造改革の動向や平成１２年の社会福祉法の制定によって、地域福祉という用語も社会福祉関係法律に定着した。しかしながら、社会福祉法がなぜ地域福祉の推進を理念とするか説明されていないことが危惧される。厳格な概念を持たないまま、なんでも地域福祉では学問として問われることになろう。 　

--------------------------------------------------------------------------------
第１　地域福祉の構造問題 　　
　①　社会福祉の把握方法の差異 　
　基本的に、社会福祉という領域が持つ特性と学問的な位置を考察するという行為なしに、社会福祉と地域福祉の関係性や構造を論じること自体に矛盾があるといえる。このこと自体の検証は膨大な作業であるために具体的な推考は今後の課題とする。しかし、前提条件の整理に取り組むため次のような検討をしてみたい。 　
　それは、社会福祉の概念の枠組みの検証である。社会福祉は、日常生活に支障を持ち、なんらかの社会的支援を必要とする状態になった者への問題解決を目的とするという程度の理解が一般的である。戦後、我が国の社会福祉は、公的責任のもとに積極的に整備されとは言い難い側面もあるものの、この目的を持って構築されてきたといえる。この社会的援助における制度的な側面としては、施設サービスと在宅サービスなどの包括的な提供のシステムにあることはいうまでもない。しかも、社会福祉と保健・医療・教育などの多くの領域との連携のもとに提供される総体であるわけである。このことが、制度的な社会福祉の側面である。この制度的社会福祉は、公的サービスの拡大と拡充として２１世紀の少子高齢社会に向けて整備が進んでいる。一方では、社会的援助における非制度的な側面として、ボランティア活動や住民相互の支え合い活動などがある。この日常的な生活に根ざす側面は、インフォーマルな社会福祉活動の面であって、公的な権力に対置した「活動性」や「参加性」を保持したものであるといえる。 　
　基本的に、このような制度的な社会福祉と非制度的な社会福祉の領域が共に豊かになることが求められる。社会福祉が地域という福祉に転換している状況では、制度的社会福祉と非制度的社会福祉を峻別して整理検討する必要がある。 　
　　　　　　　　　　　　　　　　　表－１　制度的社会福祉と非制度的社会福祉 

制度的社会福祉 非制度的社会福祉 
具体的援助 精神的援助及び活動、福祉啓発 
在宅保健福祉ｻｰﾋﾞｽや施設福祉福祉ｻｰﾋﾞｽ 住民参加型活動やボランティア活動 
存在の認識に規定される社会福祉 意識の認識に規定される社会福祉 

　この整理検討の視座は、価値認識の問題であって、社会福祉の制度的システムを仮に「存在の認識」、社会福祉の心や理解などを仮に「意識の認識」という分析軸を設定してみたい。次の表に示したように、「存在の認識」に規定される社会福祉は、制度的社会福祉という枠組みに親和性を持ち、在宅保健福祉サービスや病院・施設福祉サービスと親和性を持つと考えることができる。そこでは、公的責任が第一であって、介護保険事業に見られるような具体的援助という特性を持っている。また、「意識の認識」に規定される社会福祉は、非制度的な社会福祉という枠組みに親和性を持ち、住民参加型活動やボランティア活動と親和性を持っている。しかも、自発的活動性という特性と意識性という特性の両面を保持している。具体的な問題解決を図ることよりも、社会福祉理解や精神的援助の側面が強いといえる。 　
　もちろん、「存在の認識に規定される社会福祉」と「意識の認識に規定される社会福祉」は制度的社会福祉と非制度的社会福祉に単純に分離して説明はできない。表－１のような平面的構造ではなく、立体的で交錯した状況であって、その両者の関係は親和性を確保しているという程度の理解にとどめたい。 　　
　
　②　社会福祉概念と公的責任 　
　このような制度的社会福祉の側面と非制度的社会福祉の側面の位置関係や認識の強弱によって、社会福祉概念と地域福祉概念の差異として説明されることも単純な理解にあっては可能であろう。すなわち、公的責任と制度的社会福祉の側面の強調が社会福祉を意味しており、非制度的社会福祉の側面の強調が地域福祉の意味を持っているという説明の方法である。 　
　もちろん、この公的責任には、国家責任を第一とする「中央集権型社会福祉」を意味する側面と、地方自治を第一とする「地方分権型社会福祉」を意味する側面がある。さらに、視点を変えると次のような課題もある。市民生活の不都合や日常生活の障害の解決にあたって、「行政依存型の福祉サービス」と「市民自治型の福祉サービス」との間の公的責任の課題である。社会福祉ニーズをすべて行政責任型のサービスを持って充足するということは財政的にも困難である。重篤な社会福祉ニーズについては、行政責任型の福祉サービスによって充足されるとしても、日常的な簡易な社会福祉ニーズは、市民自治型の福祉サービスもしくは、市民自治型の相互支援活動によって充足されるべきであろう。この市民生活の不都合や日常生活の障害に対する公的責任と住民側の責任の関係性が見えにくいことがある。もちろん、個人や家族の責任、近隣地域社会の責任との間を同一に論議はできない。とりわけ、既存の社会福祉は、「個人や家族の責任」と「国家責任」という極端な対立概念を持って考えられてきた。「個人や家族の責任」と「国家責任」との間にある、「近隣地域社会の責任」と「地方自治体の責任」を曖昧なまま説明されてきた。当然なことして、行政責任は、「国家責任」と「地方自治体の責任」を意味する。この責任は地方分権という方向にあっても第一義的な責任は国家であるが、サービスの主体的責任は地方自治体に委譲されつつあると理解できよう。しかし、そのための財政面の委譲が行われていないことは事実である。したがって、社会福祉サービスを、どこまでの段階を国・地方自治体の責任とすべきか論議がある。 　また、「近隣地域社会の責任」という視点は、既存の地域福祉研究では論議の対象とならなかったが、コミュニティ・ケア形成のためにも今後検討をしたい。 　
　このような公私の責任関係は、かっては、家族・親族などの福祉力によって解決していた部分と、近隣・友人などの地域の福祉力によって解決してきた生活問題・生活障害（育児問題や老親介護問題など）を社会化するにあたって、制度的社会福祉の側面と非制度的社会福祉の側面の責任の強弱である。この公的責任の問題は、社会福祉問題の根本的な把握方法によって異なる。高度産業社会における資本主義的な構造問題として把握する場合には、制度的社会福祉の側面の公的責任論が第一となる。一方では、新たな市民社会の構築という視点から、例えば、「大きな政府より小さな政府」とする視点などからは、制度的社会福祉の側面の公的責任を第一としつつも、非制度的社会福祉の側面を重視することとなる。この視点の差異は、高度産業社会の構造的把握の視点であって論議がある。本稿では、この課題を明記することに留めたい。 　
　なお、三浦文夫が「社会福祉サービスの運営の公準」(注３)として課題提起していることが参考となる。しかしながら、三浦が指摘する「社会福祉の公準」という視点は、社会福祉サービスの責任が、我が国にあって「市民契約化」しているのかという視点からは説明されていないように考える。それは、憲法第１３条や第２５条を背景とした「幸福を追及する権利」や「最低生活の国家保障」という段階では、国および地方自治体と市民の関係あって、法律上（社会福祉法など）にあっても租税負担の上からも成立をしているといえる。しかしながら、より積極的な社会福祉サービスの醸成の段階における市民の権利と義務は、「市民契約化」しているのであろうか。例えば、知的障害者福祉法や身体障害者福祉法では、より積極的な社会福祉サービスを受ける権利保障はしていない。老人福祉法にあっても、社会福祉サービスを受ける権利は未成立であるといえる。その権利は、介護保険制度が社会保険方式という手段を導入することで、重篤な高齢者への要介護認定による一部サービス経費の自己負担という手段で権利保障を図ろうと試みている。しかし、高齢者の生活障害自体の保障の権利ではない。あくまでも、社会保険方式による積極的な社会福祉サービスの経費の問題論議でしかないといえる。すなわち、積極的な社会福祉サービスを受ける権利保障ではないのである。この視点からも障害者権利法の制定が望まれる。 　
　一方では、一般市民は過度な税金負担は容認していないといえよう。積極的な社会福祉サービスを受ける権利には、高福祉高負担という視点が避けられない。まして、社会の人口構成が従属人口の増化という現象にあっては、より重大な課題となっている。「社会福祉の公準」を「市民契約化」することが求められているといえる。 

　③　社会福祉から地域福祉への転換の視座 　
　我が国の社会福祉は、制度的・法律による縦割りのシステムであって、国家責任第一主義であったことがいえる。それは、老人福祉・障害福祉などの関係法律によってサービスを提供し、国の機関委任事務体制として管理する考え方であった。具体的には、我が国の固有な措置制度に典型的に現れてきた。すなわち、措置型社会福祉は、縦割り管理型福祉であったわけで、社会福祉の制度自体が措置制度に依拠してきたわけである。 　
　基本的に、社会福祉は、具体的日常生活の欠損として認識して、その解決のためのサービスを提供する総体として制度的社会福祉の側面と非制度的社会福祉の側面があるとする説明が一般的であった。 　
　既存の社会福祉から地域福祉への転換の視座は、脱・中央集権型による「地方分権」、「規制緩和」が軸となって進行してきた。包括的な社会福祉の一分野としての地域福祉ではなく、社会福祉概念の地域化であって、地域社会を基盤とした社会福祉サービスとボランティア活動などの総体である。ある種の地域型社会福祉であるといえよう。もちろん、英国のシーボーム改革の動向や北欧のノーマライゼーション思想、米国の自立生活運動などの影響が大きく、コミュニティケア型社会福祉へと構造変革している。このような新しい社会福祉の形態を地域福祉と呼ぶという程度の理解が一般的であった。しかし、社会福祉基礎構造改革や社会福祉法の成立は、介護保険体制の整備充実の動向とあいまって、地域福祉の実態概念化として進行している。理念型地域福祉が実態概念を保持して、新しい社会福祉概念へと発展する止揚状態にあると理解をしたい。 　
　この止揚状態にあるとする理解の視点からは、「存在の認識に規定される地域福祉」 と「意識の認識に規定される地域福祉」とする枠組みを設定しなければ、既存の地域福祉の延長が地域福祉の実態概念であると理解される誤解が生じることとなる。社会福祉の発展過程における、地域福祉の位置は止揚状態にあって、絶えず変動・変革されている。この視点によって「地域福祉の発展運動」を理解するという立場に立つ筆者は、「存在の認識に規定される地域福祉」と「意識の認識に規定される地域福祉」という分析軸を設定して「地域福祉の発展運動」を整理したいと期している。この「地域福祉の発展運動」という認識が、社会福祉から地域福祉の実態概念への転換の視座である。 　　

　④　社会福祉の管理構造の課題 　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　表－２　社会福祉と地域福祉と管理構造 

存在の認識に規定される社会福祉 意識の認識に規定される社会福祉 
「脱・社会福祉の管理構造」 
意識の認識に規定される地域福祉 「存在の認識に規定される地域福祉」 

　「存在の認識に規定される地域福祉」と「意識の認識に規定される地域福祉」とする枠組みをあえて設定した視点は二つある。第一の視点は前記したの「地域福祉の発展運動」という視座である。第二の視点は「社会福祉の意識」と地域福祉が持つ「脱・社会福祉の管理構造」という視座である。その第一の理由は、住民意識や社会福祉理解に基づく社会福祉のソフト面への着目にあった。その第二の理由は、「社会福祉の管理構造」の強化への危惧という視点にあった。これらのことを整理して社会福祉の管理構造として理論化したのは高澤武司である(注４)。 　
　概念整理を試みると、「存在の認識に規定される地域福祉」と「存在の認識に規定される地域福祉」は、既存の社会福祉が持つ管理構造に対する警鐘である。例えば、既存の社会福祉が、障害者問題における「各種手帳問題」や縦割り法による分類収容主義の残存性などを保持している。したがって、草のね運動的な地域福祉理念とは、相入れない部分である。表－２の「社会福祉と地域福祉と管理構造」では、「存在の認識に規定される社会福祉」と「意識の認識に規定される社会福祉」が、管理構造を基本軸として「存在の認識に規定される地域福祉」と「意識の認識に規定される地域福祉」との差異としてみたものである。 　

--------------------------------------------------------------------------------
第２　地域福祉の構造と二面性 　　
　①　地域福祉概念の整理 　　
　　　　　　　　　　　　　　　　表－３　制度的地域福祉と非制度的地域福祉 　　

制度的地域福祉の側面 非制度的地域福祉の側面 
「存在の認識に規定される地域福祉」 自治性
思想性
の担保 「意識の認識に規定される地域福祉」 
社会福祉システム（存在の認識ｼｽﾃﾑ） 主体形成システム（意識の認識ｼｽﾃﾑ） 
社会福祉の公的責任 の担保 地域福祉の主体形成 

　
　積極的な社会福祉サービスを受ける権利保障と市民および企業の負担の問題の「市民契約化」が未成熟な段階にあるからこそ、「存在の認識に規定される地域福祉」と「意識の認識に規定される地域福祉」という分析軸を必要としたわけである。 　次の表の２のように、「制度的社会福祉と非制度的社会福祉」という視点を「制度的地域福祉と非制度的地域福祉」と言い換えるならば、そこには「思想性」と「自治性」という軸があるために、あえて言い換える必要性を見出すことができよう。この「思想性」と「自治性」及び「参加性」は、エンパワーメント概念に親和性がある。前記した拙著に詳細に述べてあるので参照してほしい。 　　

　　　　　　　　　　　　　　表－４　制度的地域福祉と非制度的地域福祉の緊張関係 

制度的地域福祉の側面 非制度的地域福祉の側面 
「存在の認識に規定される地域福祉」 社会福
祉の
管理
構造 「意識の認識に規定される地域福祉」 
社会福祉サービスの拡充・強化 当事者・住民活動の促進・強化 
社会福祉の公的責任 地域福祉の主体形成 


　このように検討してくると、制度的地域福祉と非制度的地域福祉の緊張関係を構築する必要があって、この緊張関係は「社会福祉の管理構造」が軸となるといえる。もちろん、社会福祉と地域福祉の差異についても同様に「社会福祉の管理構造」が軸になると説明してきた。 　
　将来、地域福祉が実態概念を保持した段階にあっては、前記したような分析軸は必要がない。当然なこととして、牧里毎治か指摘したように、「存在の認識に規定される地域福祉」と「意識の認識に規定される地域福祉」という説明の方法は成立をしなくなるわけである。換言すれば、既存の社会福祉が主体形成を段階的に発展させていけば、「存在の認識に規定される社会福祉」と「意識の認識に規定される社会福祉」を経て、止揚状態を経て、「存在の認識に規定される地域福祉」と「意識の認識に規定される地域福祉」を再度経て、「新しい地域福祉型の社会福祉」へと到達するという歴史認識と発展認識が必要であるといえよう。 　　

②　地域福祉概念の終焉 　
　したがって、既存の社会福祉が主体形成を段階的に発展させ、「存在の認識に規定される社会福祉」と「意識の認識に規定される社会福祉」の止揚状態を経て、「存在の認識に規定される地域福祉」と「意識の認識に規定される地域福祉」の止揚状態を経て、「新しい地域福祉型の社会福祉」へと到達した段階では、地域福祉概念は成立をしない。単なる社会福祉の発展段階である。おそらく、その段階にあっては、さらなる矛盾と課題によって、主体形成と客体形成が求められよう。 　
　具体的には、社会福祉基礎構造改革を経て、社会福祉法などの改正が実施され、今後に、知的障害者福祉法、身体障害者福祉法、老人福祉法などが収斂し、包括法としての仮称「社会サービス法」か「コミュニティケア法」として対人福祉サービスが包括法として成立をするならば、前記した歴史発展認識において、地域福祉概念が実態概念化したといえよう。その後の発展段階を経て、地域福祉概念は終焉をするこことなる。 　

--------------------------------------------------------------------------------
結びにかえて　
　地域福祉の存在基盤において、「自治性」と「思想性」を担保するためには、「意識」という側面を社会福祉システム（存在の認識システム）と対置させなければならない。なぜならば、基本的に、制度的な社会福祉システム（存在の認識システム）では、社会福祉の管理構造の強化という傾向が危惧されるからである。例えば、介護保険制度におけるケア･マネージメントのシステムには、要援護者のケアプランを構築することで、要援護者の生活を管理するという危惧は拭えない事実である。特に、知的障害・精神障害というハンディキャップでは、制度的な社会福祉システム（存在の認識システム）に依拠することで社会福祉の管理構造は強化されるといえる。地域福祉には、「自治性」と「思想性」などを担保しており、「意識の認識に規定される地域福祉」という側面が、障害者権利を擁護することとなる。したがって、地域福祉の主体形成を図ることには「意識の認識に規定される地域福祉」という側面がなければならない。この地域福祉の主体形成を図ることを、「存在の認識に規定される地域福祉」に期待をしてはならないのである。なぜならば、地域福祉には、「自治性」と「思想性」を担保しているからこそ「意識の認識に規定される地域福祉」が位置を持ち、この意識認識が地域福祉の主体形成を図ることとなる。反面、「存在の認識に規定される地域福祉」は、制度的な社会福祉システム（存在の認識システム）を構築し、公的責任を問うこととなる。社会福祉サービスの拡大発展には、不可欠である。 　
　このような検討から、新しい社会福祉である「地域福祉」は、「存在の認識に規定される地域福祉」と「意識の認識に規定される地域福祉」とを峻別する視点が必要であって、社会福祉の管理構造という側面と、地域福祉の「自治性」と「思想性」を担保するためにも必要不可欠な歴史認識による分析軸である。したがって、牧里毎治から批判を受けた「この分析軸を他の用語を持って代替えが可能」は困難であると回答をしたい。 　残された課題としては、このような視座に立脚して、地域福祉の実践研究とコミュニティケアの実践研究を持って前記してきた仮説を立証することである。この実践研究がないことから、本稿は研究ノートとして取り組んでみた。

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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">1.論文</category>
        
        
         <pubDate>Wed, 02 Jan 2008 02:54:11 +0900</pubDate>
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         <title>福祉教育を促進するソーシャルワークに関する研究 </title>
         <description><![CDATA[問題の所在
　これまで、福祉教育の展開は、学校教育内での社会福祉の教育や社会福祉専門教育の視点、学校教育外の生涯学習の一環としての福祉教育の視点、社会福祉協議会によるボランテイ講座や福祉講座などが注目されてきた。このような福祉教育での中心的な目的は、将来の超高齢社会をになう児童の育成や、住民による生涯学習やボランテイア活動の活性化を期待したことでもあった。 　
　しかし、このような福祉教育の考え方では、地域福祉の時代に対応できるコミュニテイ意識の醸成、住民参加の意識形成や当事者活動の主体形成などの価値観の形成に対応できなくなる危惧がある。
　その理由は、第一として、既存の福祉教育が持つ社会福祉に理解の乏しい児童や住民に対して教育をするという視点への批判である。
　第二として、学校や社会福祉協議会や市民館などが一方的に教育機会を提供して、総論的な福祉観を提供してきたのではないかという反省でもある。
　第三として、多様な価値観に対応できる魅力ある学習機会が提供しにくくなっていることである。
　第四として、住民を対象とする福祉教育の具体的方法やプログラムが未確立であることである。 　
　地域福祉の時代に向けて福祉教育のあり方には、社会福祉の固有な視点による地域住民と協働し、共に創り出す福祉教育観として求められている。それは、社会福祉の領域において、地域福祉の主体形成を促進する福祉教育の視点が求められていることである。具体的には、主として学校教育や専門教育での福祉教育の領域ではない、社会福祉の領域での地域住民による日常的な学習を促進するために、社会福祉の学習機会の確立及び参画の課題の検討でもある。とりわけ、地域社会が持つ生活問題を解決するために、住民が生活実感の中から学習を積み上げていくという視点及び住民相互の日常的な生活感覚を磨きあう視点に注目をしたい。 　
　また、このような誰もが、あたりまえに生活を営むことが可能となる地域社会を創りだすためには、行政責任による在宅福祉サービスの拡充とあわせて、住民が身近な生活問題を解決していく相互支援活動を活性化する必要がある。そのためには住民自身の主体形成が求められる。その内容は、住民が自らの生活問題を学習し、そのうえに立って、近隣の要援護者が持つ重篤な生活・福祉の問題をも学習し、共に支え合うという意識を共有することである。その学習とあわせて社会福祉施設などでボランテイア体験を積み上げ、近隣関係の再構築による相互支援活動を豊かなものとしていく視点が重要である。このような地域社会で住民自身が問題解決の力を持つこと、要援護者自身も自己の問題を解決する力を持つように学習を支援することが福祉教育の新たな考え方として期待されている。 　
　このような問題意識のもとに、社会福祉の主体形成を支援する福祉教育の促進ためには、具体的な実践に繋がるソーシャルワークの構築が求められる。しかし、医学モデルに依拠した既存のソーシャルワーク概念や方法では対応が困難となっている。 　このようなことから、教育の領域での福祉教育観と峻別した社会福祉の領域での福祉教育観を確立することが必要であるとの仮説を持っている。社会福祉の領域での福祉教育は、地域福祉の時代に対応した‘住民自身が問題解決の力を持つ’‘要援護者自身も自己の問題を解決する力を持つ’ことを醸成し支援するコミュニテイ型のソーシャルワークとして構築される必要がある。そのために、岡村理論や大橋理論の検討に加えてエンパワーメント・アプローチやインターウェービング理論を足がかりとしたい。 
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　第１章　福祉教育への社会福祉の固有の領域からのアプローチ 　　
　　　第１節　社会福祉の固有の視点と主体形成 　　
　　　第１項　岡村重夫の社会福祉の固有性と主体形成の理論の特徴 　
　岡村重夫による社会福祉の定義は『社会福祉とは、全国民が生活者としての主体的社会関係の全体的統一性を保持しながら、生活上の欲求を充足できるように、生活関連施策を利用、改善するように援助するとともに、生活関連の各制度関係者に個人の社会関係全体を理解させて、施策の変更、新設を援助する固有の共同的行為と制度である』(注１ ｱﾝﾀﾞｰﾗｲﾝは筆者)であるとしている。そのうえで、岡村は「社会生活上の基本的要求」と「その要求充足過程に含まれる〈社会関係の主体的側面〉の理論」によって社会福祉の固有性を論証し、次のように指摘する『社会福祉の固有の視点は、生活関連施策の各種の専門的分業制度と異なる立場から生活問題を理解し、これに接近することを意味すると同時に、それは生活問題当事者ないし生活者自身と同じ立場に立つということである。つまり生活問題に対する福祉的理解という点において両者は共通点をもっているのである。この共通理解を手がかりとして、社会福祉的援助は、生活問題当事者に接近し、彼自身の問題解決を援助することが可能になるのである。』(注２、ｱﾝﾀﾞｰﾗｲﾝは筆者)。このサービスを必要とする当事者が主体的に問題解決が可能となるように援助する過程こそが社会福祉の固有性であるとする。したがって、社会福祉の領域の福祉教育に求められていることは、この社会関係の主体的側面を実現するように支援し、醸成する過程にあるといえる。 　
　なお、岡村理論によれば、社会福祉は、個人と社会の関係での固有の存在性をもちながら依存し合う関係にあり、この調和において成立することとなる。そのうえで、社会生活を構成しているもの自体を、人間の基本的要求と基本的社会制度と、それを関連づける社会関係としてとらえている。この社会関係の主体的側面と社会関係の客体的側面というとらえ方が独自な岡村理論の構成要件となっている。さらに、この社会関係の主体的側面への援助が岡村理論の中核をなし、この社会関係の欠落した状態を社会福祉のニードととらえている。したがって、岡村理論では、この主体性の社会福祉が生活的行為としての主体性形成に絶対的な価値を付与しており、ソーシャルワーク実践が人間を対象としている以上、社会構造上の問題であると同時に、個人の生活上の要求と個性に関わる問題を社会福祉問題としていると理解できる。したがって、岡村理論の検討から、社会福祉の領域での新しい福祉教育のあり方は、社会福祉の主体性の確立を醸成し、当事者や住民の学習を支援し、当事者や住民の生活問題を主体的に解決できるように支援することといえる。 　　
　　第２項　大橋謙策の地域福祉の主体形成の理論の特徴 　社会福祉の領域が、社会福祉施設を中心とした支援の形態から、地域を基盤とする援助へと変化する中で、「近隣関係を核とする共存のシステムの不在」という問題が出現している。大橋は『社会全体の高齢化・少子化の現象が拍車をかける新たな福祉課題の解決方法は、制度や施設の整備だけでは対応は困難である』とし、社会福祉の考え方を一般住民の理解と協力を得る必要があることを強調する。そのために、社会福祉問題を国民化、地域化することから社会福祉問題の主体形成と共有化を図る必要性をいう。なお、この地域福祉の実体概念化を考えるうえで「地域福祉の主体形成」(注３)という枠組みの重要性を指摘している。そのうえで、次の二点の課題を強調する。(ｱ) 入所型施設と家庭との中間領域の福祉サービスの課題である在宅福祉サービスの組織化。(ｲ) 国民の福祉への関心の醸成として福祉教育・ボランティア活動の促進である。次に、大橋は、『地域福祉を実体化させるサービスの変容への背景には、国民の人権感覚の豊かな発展と定着があることも見逃してはならない』(注４)とも指摘する。住民の生活感覚に「高齢社会にむけた危機意識」が醸成されつつあり、社会福祉理解が深化し主体が形成されていくことを自体を福祉教育の枠組みに求めていると理解したい。 　
　これらの大橋の主張の特徴は、新しい地域福祉の時代に対応していくためには、この地域福祉の主体形成による、住民自身・当事者自身が主体となった福祉への関与なしには、地域福祉の実体化は困難であるとする。そのためにも、公的役割としての在宅福祉サービスの提供に留らず、非営利活動や当事者活動などによる在宅保健福祉サービスの組織化を図る必要性を指摘する。さらに、住民自身・当事者自身が企画し事業をおこし経営するという視点での主体形成も問われよう。このことは深く個々の住民および当事者としての価値規範に関わる部分である。このような主体形成とは、常に地域社会の中で、隣人や他人との関係の中において生活する相互の関係のあり方をいうものであり、いくら公的サービスが充実しても、地域社会での豊かな交流の形成を支援することなしには成立しないということである。このことから、社会福祉の領域での新しい福祉教育に求められる構成要件にも「地域福祉の主体形成」が重要であるといえる。 　　

第２節　社会福祉の領域の福祉教育の枠組み 　　
　　第１項　大橋の福祉教育 　
　福祉教育について、最近の大橋謙策は『国民の社会福祉への理解と関心を深め、ボランテイア活動などの体験を行うことを通して、国民的課題となっている高齢化社会の問題を解決などのために国民の社会福祉への参加と協働を進めることを目的に行われる教育活動』（現代福祉学レキシコン P531 1993）という。この福祉教育の考え方では、教育的な意味が強調され、国民の社会福祉への理解と関心を深めるという、教育を与える側の論理が強調され、共に学ぶという面が弱くなっている。これは、指導する側が一方的に福祉情報を児童や住民を教化・感化する視点が残ってしまうのではないかと危惧している。一方、以前の大橋は『憲法第13条、第25条などに規定された基本的人権を前提にして成り立つ平和と民主主義社会をつくり上げるために、歴史的にも、社会的にも疎外されてきた社会福祉問題を素材として学習することであり、それらとの切り結びを通して社会福祉制度・活動への関心と理解を進め、自らの人間形成を図りつつ、社会福祉サービスを受給していく人々を社会から、地域から疎外することなく、共に手を携えて豊かに生きて行く力、社会福祉問題を解決する実践力を身につけることを目的に行われる意図的な活動である』(注５、ｱﾝﾀﾞｰﾗｲﾝは筆者)と定義している。ここでは、前記の大橋の地域福祉の主体形成論とあわせ、「共に手を携えて豊かに生きて行く力、社会福祉問題を解決する実践力」を醸成する視点が強調されていた。やはり、主体性を尊重した福祉教育の理念には、この‘力’の醸成を目指し、共に学習しあう関係の形成が社会福祉の領域での福祉教育の固有性な課題として不可欠であると考える。 　　第２項　社会福祉の領域の福祉教育と教育の領域の福祉教育との峻別 　教育の領域を背景とした福祉教育にみられる学校教育内の福祉教育の視点、学校教育外の生涯学習の一環としての福祉教育の視点、社会福祉専門教育の視点には、教育学を背景とした教育哲学、教育方法、教育実践が確立されている。この教育の領域での福祉教育はますます理論化、実践化されなければならないことは前提である。そして、この教育の領域の福祉教育と社会福祉の領域の福祉教育との連携が重要であることも当然である。 　しかし、本稿が検討する社会福祉の領域の福祉教育は、社会福祉の実践現場との切磋琢磨のなかからの、独自の実践理論、実践方法を模索している段階(注６)であって、社会福祉の固有性と方法の確立を背景とした理論化が求められている。このことを追及することなく社会福祉の領域の福祉教育を論ずることは、社会福祉の曖昧さに内包されてしまうという危惧がある。社会のためになることは全て福祉であり、福祉の心を形成することを総論的にうたいあげても説得力を持たない。地域福祉の時代での社会福祉の領域の福祉教育は、岡村理論に立ち返り、福祉の現場実践を背景とした社会福祉の固有性と主体形成を参考として理論化される必要があると考えている。そのうえで、大橋の地域福祉の主体形成と福祉教育の意味をより深め理論化する作業が求められているのではないか。当然なこととして、住民との協働によることとあわせて、社会福祉の現場実践との‘きり結び’のなかからの作業でなければならない。ただ単に国民の社会福祉への理解と関心を深めるための教育活動であってはならないのである。 　

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第２章　　社会福祉の領域の福祉教育に求められる思想と自治 　　
　　第１項　社会福祉の領域の福祉教育への価値や思想性の内在化 　
　社会福祉の領域の福祉教育には、コミュニテイの主体形成の過程が重要であること、主体形成のための価値観や思想性が重要であることがこれまでの検討で理解できよう。そして、右田紀久恵の自治型地域福祉の枠組みでは、『社会福祉の一分野というよりも、新たな社会福祉である。地域福祉を問うことは社会福祉を問うことである。中略、社会福祉の制度論と方法論統合がそこにあるがゆえに、新たな福祉としての意味があり、理論構築に値するといえる。地域福祉は、地域と生活にかかわる価値や思想性を内在させるものである』(注７、ｱﾝﾀﾞｰﾗｲﾝは筆者)とすることが参考となる。この地域と生活にかかわる価値や思想性を内在させるためには、コミュニテイの主体形成を図らなければならない。また、岡村の『生活問題当事者ないし生活者自身と同じ立場に立つということである。中略。この共通理解を手がかりとして社会福祉的援助は、生活問題当事者に接近し、彼自身の問題解決を援助することが可能になる』との指摘からは、住民自身の主体形成や当事者の主体形成の醸成を支援し、同じ立場にたって支援する過程の重要性の確認となる。このことが、一方的な上位からの福祉教育のあり方への危惧の根拠である。 　
　なお、岡村の主体性の社会福祉理論では、援助者が意図的に創り出す適応過程は対象者個人の主体性の放棄を意味すると批判している。したがって、社会福祉の領域の福祉教育には、主体性の原理による豊かなパーソナリテイの展開にむけた学習機会の醸成や支援にあり、当事者自身が解決法を発見できるように主体性を醸成すべく実践される必要がある。そのうえで、相互交流的な学習関係を基礎として住民・当事者自身が主体的な解決方策や相互支援関係を見出すことが重要となる。住民と当事者自身との‘きり結び’から生じる社会関係の主体的側面の醸成という視点が、新しい社会福祉の領域での福祉教育に求められるのではないか。より説明を加えるならば、社会福祉の領域の福祉教育は、住民個人への直接の学習機会の提供を基本としつつも、住民個人の社会関係における課題に対して主体的に取り組むべき機会の提供であり、当事者の問題解決の力が醸成されるような学習の場の提供であり、家族単位での問題解決の力も高めるよう学習の場の提供であり、近隣、地域での問題解決の力を醸成するよう学習の場の提供と考えられる。これらの学習の場は、教育し合う関係であり、「共育」の場であろう。まさに、住民の自治、当事者の自治を構築するために福祉教育の役割は大きく、自治活動促進型の福祉教育としてのあり方が問われている。この自治活動促進型の福祉教育には、豊かな人権思想を背景とした価値観・思想性を確保を基本とし、一般住民を対象とした「生活学習」「福祉学習」「ボランテイア体験学習」(注８)とあわせて、「当事者の主体的な活動のための学習支援」などの展開や方法の確立が求められている。 　　
　　第２項　コミュニテイの形成理論の検証 　
　このような地域社会の主体形成を図るコミュニテイ理論の検証してみたい。例えば、英国での１９７３年のミッシェル・ベーリー(Bayley M)(注９)の提起したインターウェービング理論（interweaving）や‘Network of services within the community’のコミュニテイ醸成の段階理論が参考となる。それは第一段階として‘Care out of the Community’のレベルを、生活問題、福祉問題が家庭に放置され、病院や入所施設で隠蔽されていた段階であるとしている。第二の段階としての‘Care in the community’のレベルでは、生活問題、福祉問題が入所施設や在宅福祉が制度化されているが、第三の段階での‘ Care by the community’では、さらに地域社会に住む住民による、住民のための福祉活動として非制度的な側面が醸成されている状態であるとしている。この第二の段階では、地域で生活していくための条件整備、在宅福祉サービスが行政により制度化、組織化されているものの、隣近所の人達が声をかけあい、励ましあうという活動が未発達な状態をさしているようである。また、第三の段階は、地域で生活していくための条件整備、在宅福祉サービスが行政により制度化、組織化されていることは当然として、近隣の関係が成熟している状態で、声かけ、見守りの援助が地域に形成されている状態が醸成していることのようである。しかし、地域社会の主体形成を図るためには、次の‘network of services within the Community’のレベルが‘ Care by the community’のレベルへと止揚関係として到達するという視点が重要である。また、ベーリー(Bayley)は地域社会でのインフォーマルな面（住民活動主体）とフォーマルな面（行政サービス主体）と協働促進のインターウェービング理論として、重篤な福祉課題を地域社会で解決していく理論的な枠組みを示唆している。 　このベーリー理論を参照した社会福祉の領域での福祉教育では、フォーマルな面のサービスを利用しやすく上手に利用できる力の学習への支援が課題となる。また、住民の相互支援型・問題解決型のインフォーマルな側面の醸成が促進できるような福祉教育の方法を具体的なソーシャルワークとして確立しなければならない課題があることが理解できよう。 　

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第３章　　社会福祉の領域での福祉教育の主体形成理論とソーシャルワーク 　　
　　第１項　エンパワーメントの概念 　
　社会福祉の領域での福祉教育を促進するためには、主体形成の理論としてのエンパワーメント（empowerment）の概念が参考となる。このエンパワーメント概念は、1976年に米国でソロモン(Solomom,B,B)によってソーシャルワーク実践の目的概念に組み入れられたことが有名である(注10)。その後、ケースマネージメントの過程での要援護者の自立助長の課題に対するエンパワーメント・アプローチとして再登場し、女性問題、民族問題などでも注目されてきている概念である。 　基本的に‘empowerment’でいう‘power’とは、社会資源やサービス受給機会への達成のための主体形成のための力であり、生活の主体形成力と考えられよう。‘empowerment’でいう‘em’とは、入り込むこと、同じ立場に立つという意味があるとされている。したがって、エンパワ－メント・アプローチの特徴は、専門家による「力を付与すること」を越えるということを意味する。これまでいわれてきた‘enabler’概念(対象者が自ら目的を達成するための行動をなしうるように援助する人）を越えなくてはならない。このことは、エンパワ－メントの概念の成立にあたって、セツルメント(settlement)運動の影響があるといわれているが、スラム地域へsettle(住込む)という行為は、助ける側と助けられる側という関係性を越えて、地域社会の一員としてソーシャルワーク実践がおこなわれることであった。したがって、社会福祉の領域では、エンパワーメント・アプローチでは、援助過程が「専門家」主義にのみ陥らないこと、援助過程にレイマン（素人）の主体的参加を促進する援助観へと変化することを求めている。 　
　次に、エンパワーメントの概念には、直接援助過程での‘advocacy and empowerment’の視点の確立と間接援助過程での‘ involvement and empowerment’の視点の展開の二面性がある(注11)。直接援助過程では、要援護者が主体的に福祉課題を解決できるように条件整備し、問題解決できるように学習を援助し、必要とされるサービスを提供・開発する過程において、主体形成や権利擁護を意識したソーシャルワークが重要となっている。間接援助過程では、地域社会が自らの問題を主体的に解決できるように市民を主体的に巻き込み、市民自身及び近隣での問題解決の力を醸成していくことを社会福祉の学習活動やボランテイア体験学習を通して醸成するという視点が重要である。このような要援護者や地域社会の主体形成のためには、要援護者や市民を教育するという視点ではなく、生活場面における体験や相互交流を核とした生活感覚や福祉感覚を磨くという視点を意識した福祉教育の実践として期待されている。 　
　このような要援護者のエンパワーメントが重要視されている背景には、新たな地域福祉の領域の拡大と進展があり、地域福祉は地域と生活にかかわる価値や思想性を内在化させてきたことである。また、国民の人権感覚の豊かな醸成と定着が地域福祉の実体化の背景にある。このような地域福祉における自治及び思想性の発展と在宅福祉サービスの拡大は、これまでの社会福祉の援助技術の根底を見直す課題を創出している。それは、援助者と要援護者との関係が一方的な関係から相方向的な関係となっていること。社会福祉専門職の業務に参加性、協働性、地域性が求められ、その活動拠点が機関内、施設内、病院内の活動から地域をフィールドとした活動となっていることが揚げられよう。そのような新しい援助過程では参加性（participatory approach）(注12)を志向した援助活動が注目され、追究されていると考えられる。 　
　このエンパワーメントの概念を『要援護の状態にある人々に対して、ただ単に専門家によって力を付与し、サービスの提供することではなく、社会福祉サービスの主体的な利用者として自ら問題を解決できるように、また、市民権を含めた主体的利用力を醸成できるように支援することを目指した過程である。そして、多領域（保健、医療、福祉、教育など）にわたって構造的な問題を抱える人々への援助過程において、ソーシャルワーカーによる一方的な援助だけではなく、要援護者が自立過程に主体的に参加（ participation）し、相方向的な援助関係として豊かなものにする必要がある。また、援助過程において地域住民を巻き込む（involvement）などのより豊かな相互関係（mutuality）のもとにその提供方法を吟味し、サービスを提供していくという価値規範をふまえた援助のあり方(思想)の一つである』と定義したい(注13)。 　　
　　第２項　エンパワーメント・アプローチによる福祉教育 　この概念を踏まえたうえでの社会福祉の領域での福祉教育とは、『日常的な生活課題や福祉課題などについて、個人レベル、家族レベル、地域レベルでの生活・福祉課題の解決力を醸成していくための主体的な学習活動である。ここでは、共生の思想と社会的に疎外されることが多い社会福祉問題との結節が重要である。具体的には、第一に、地域問題、家庭問題などの解決を個人レベル・家族レベルでの学習の促進である。次には、地域レベルの社会的な活動の促進としての意図的な参加と協働の過程の醸成である。その基本を成す自治の概念（住民自治・当事者自治）の拡大が重要である。』といえる(注14)。その構造としては、前記したとおり、一般住民を対象とした自治活動の促進を柱とした「生活学習」「福祉学習」「ボランテイア体験学習」と、当事者の主体的な活動（当事者自治）のための学習への支援である。 　
　このように、要援護者のエンパワーメント・アプローチと社会福祉の領域での福祉教育の内容は、学校教育、学校外教育として取り組まれてきた福祉教育とは異なる性格を持っている。したがって、エンパワーメントの概念やインターウェービング理論の視点として新たに社会福祉理論を確立することが課題となっている。まさに、地域福祉の新しい展開は、住民自身の生活感覚の醸成、福祉感覚の醸成を基盤とした住民の自治感覚の醸成が基本となる。また、公的責任による制度的な在宅福祉サービスの在り方と住民責任による非制度的な日常的相互支援活動の在り方の結節点へと導く道程は、新たな地域福祉を志向した市民自治の確立の課題である。なお、地域社会での在宅福祉サービスの展開が進めば、サービスが具体化し、身近な場面で利用されればされるほど、住民自身は、サービスの受給関係において福祉感覚が醸成され、自治感覚が養われる。このことを通してコミュニテイへの福祉学習の内部化、深化となると考えられる。このことはコミュニテイ自体の主体形成であり、コミュニテイにおける制度的、非制度的相互支援活動の内在化現象である。この主体形成を確保し、共生するための思想性及び自治性の獲得が社会福祉の学習活動にとって重要であることを強調したい。 　　
　　第３項　社会福祉の領域の福祉教育を促進するソーシャルワークの展望 　『ソーシャルワーク実践の主要な目的の一つが、社会的に不利で抑圧されている人々にパワーを与えることであり、このエンパワ－メントはソーシャルワーク実践において最も価値のある目標のひとつとして高い評価を得ている』(注15)との指摘がある。この指摘からも、社会福祉の領域で求められる福祉教育を促進するソーシャルワークのあり方の一つとして、当事者主体、住民主体、自主管理によるサービスの利用力を醸成し、サービス供給過程へも当事者・住民が参画することが求められることになる。このことは、地域福祉の進展とノーマライゼーション思想の浸透によって、社会福祉の援助関係において、明確な与える側、受ける側という関係だけではソーシャルワークは成立しえないという背景がある。 　岡村、大橋の両主体形成の理論をふまえた検討結果からいえることは、新たな社会福祉の領域での福祉教育は、個人・家族のレベルでの主体形成を促進するものであり、当事者の活動の主体形成を促進するものであり、地域住民の主体形成を促進するものである。その主体形成の目的は、地域社会での生活問題・福祉問題の解決力の醸成にある。それらを支援する福祉教育のあり方が「主体形成を志向したソーシャルワーク」として考えていく必要性であるといえる。その根底では、社会福祉現場実践の側からも要請されるあり方が基本である。 　
　なお、社会福祉の領域の福祉教育を促進するソーシャルワークの考え方は、英国の動向が参考となる。協働的アプローチ（A collaborative approach）(Peter Beresfordの研究)が重要と考えられる。このアプローチには‘networking’‘ empowerment’を要素としてコミュニテイケアに求めている。ベレスフォードは‘networking and care management’（対人レベルのサービスのネットワーク形成とケアマネージメント）及び‘involvement and empowerment’（地域レベルでの住民の巻き込みと福祉力の醸成）の重要性を指摘している(注16)。なお、前出した参加性アプローチ（participatory approach）にも見られる一方的な教育観から、相方向的な学習観の脱皮の必要性も重要である、これらをふまえた英国での、新しいソーシャルワーク理論の動向(注17)が本稿での課題を検討する上でも参考となっている。 　残された課題 　小川利夫による『福祉と教育、あるいは教育と福祉の関連をめぐる問題は、すでに古くして新しい歴史的課題である』(注18)という指摘は、今日の社会福祉の展開を考える上で改めて示唆するところは大きい。なお、小川は『岡村重夫福祉教育「三段階」論の意義と限界』において、岡村福祉教育の「三段階」論を批判し、岡村の社会福祉理論について『多分に福祉国家論的な楽天主義にもとづく現象の指摘はみられるが、体制的な分析は皆無に近い』(注19)とも批判をしている。この批判の前後の文脈を検討することは本稿の主旨ではない。しかし、岡村理論については、社会福祉の領域から福祉教育を考えるうえでの関門であり、本稿では、岡村の社会福祉固有性・主体形成理論についてはこれに依拠し論を進めた。 　松下圭一は、社会教育行政の問題性を指摘するなかで『市民文化活動は、行政としての社会教育行政から解放されている。それこそ、行政以前の自立した市民文化活動なのである。〈模索・たのしみ・創造〉としての市民文化活動が多様化・高度化するなかで、社会教育行政は終焉する』(注20)としている。このことの今日的な意味を改めて吟味する必要がある。また、この松下の市民文化活動の醸成の必要性と社会教育行政の終焉という問題意識から、社会福祉教育のあり方を検討することなく社会福祉教育が総論的に論じられているとの危惧が本稿につながっている。なお、日本社会教育学会の小川剛による『ボランテイア・ネットワーキングは、ともすれば「官僚制」化により悪化する事態への解毒剤となり、また市民固有の論理による活動をより活発化するからである』(注21)は、社会福祉の領域で安易なボランテイア活動論がみられることへの警鐘となると考えている。 　社会福祉の領域は、重い現場実践に支えられつつ、その現場実践との関係が曖昧な社会福祉の方法論にしか依拠できなかった。そのようななかで、社会福祉問題が国民的な共感となり、自立した生活の維持・継続が困難な者を排除しない地域社会の形成には、大橋が指摘する『社会福祉問題は決して一部の特定の人の問題ではなく、全ての国民的な課題であり、その解決のためには専門家のみならず地域で地域住民の参加の下でしか解決できないところにきている』(注22)が必要である。まさに、既存の福祉教育のあり方は、地域生活における「住民の自治と統治 (citizen control)」「当事者の自治」(注23)によって問われているのである。 　このような検討から、重篤な生活のハンディキャップを持つ者を排除しない地域社会の構築には、形式的・総論的な福祉教育論では対応できないことは明らかである。そのための展望として、社会福祉問題の現場実践と社会福祉理論の‘きり結び’研究の成果を期待したい。そして、社会福祉の固有な領域からの参画が必要である。それらのうえ立った学際的な実践と研究の確立が求められている。本稿がその一助となることを願っている。 ]]></description>
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