開高健

 もう逝去して25年になろうか。芥川作家に開高健(かいこう たけし)という言葉がほとばしる作家がいた。

 57歳で亡くなった開高は、私に多くのものを残している。人間の感性と葛藤して、行動する作家は、行動した中から言葉をつぐみ、開花させ文章を残している。

 なぜ、開高は、作家として、迷い、葛藤し、自然の摂理に考え込み、特にベトナム戦争でのルポルタージュ経験が作家を苦しめたのであろうか。作家開高の文体は、他の識者とは異なる文体として発酵している。言葉が醸成して発酵するという開高の文章と文体は、自然と社会の不条理に挑み、開高文学となったと考えている。そこに、前出した開高の葛藤であり、単なる作家には終わらせなかったのだろう。ここに開高文学の魅力がある。

 開高は単なる物書きではない。ただ、残念ながら57歳という逝去は、惜しまれてならない。もっと語り、行動文学を残してほしかった。21世紀の混迷への指針として語ってほしかった。

 しばらく、開高文学と格闘してみよう。鳥の声、野生の音に浸かりながら、感性を磨いてみよう。開高から学ぶことは多い。

 合わせ技は、白州正子とマルクスの文章との葛藤になる。